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2015
08.22

トラウマと法話とご加持 ―過去によって振り回されないために―

201508220001.jpg

 ある時、ふとしたおりに過去の忌まわしいできごとを思い出し、強い罪悪感に襲われ、落ち込んでしまうAさんと対話した。

Aさん:「こんな自分と知りながら受け入れてくれる優しい伴侶がいるのに、思い出す自分はいつまでも忌まわしいままです。
 平和な時間の中で、いきなりそれが起き上がると、もう、抵抗できません。
 ただ、悲しく、恐ろしく、自分をどうしようもないもどかしさに、強張り、震えるだけです。
 伴侶や友人たちは口々に、もう過ぎたことでしょう、とか、誰にだって他人へ言えない過去があるよと言ってくれますが、そんなことは皆、わかっているのに、発作的に起こるので、〈その瞬間〉が来るともう、どうしようもありません」

小生:「私たちが、どこを探してももう、無い過去によって苦しめられる成り行きに二つの面がありそうです。
 一つは、できごとが持つ印象の強さです。
 小さな子供の時代をあまり思い出せないように、後から後からと記憶が積み重ねられるので、古いものほど思い出しにくいのですが、よきにつけ、悪しきにつけ、強烈な印象を伴ったできごとは、いつまでも繰り返して思い出され、デフォルメされたり、脚色されたりしつつも、残って行きます。
 Aさんの場合も、ずいぶん、昔のできごとだけど、あまりにも印象が強すぎたのでしょうね。
 もう一つは、性格など、その人のタイプです。
 ものごとを枠にはめて固く考えたり、感覚的にはじいてしまうものは決して受け入れられない潔癖症だったり、〈あるべき自分〉や〈ありたい自分〉以外の部分が自分へ許せなかったりすると、まずかったできごとは、いつまでもまずいままで残ります。
 未解決の嫌なできごとは、自分が未解決であることを知っているので、幾度でもよみがえり、同時に、嫌悪感罪悪感なども付随して心を占領します。」

Aさん:「私にとっては人生で最大のできごとのようにすら思えているので、性格だって変えようがないし、繰り返しは、どうしようもないんですよね」

小生:「そうですね。
 でも、私たちが普段生きているうちには、嬉しいことも嫌なこともそれなりに起こりますが、私たちは苦しみが閾値(イキチ)を超えない限り、今日、いくら泣いてもなぜか、明日また、ご飯を食べ、誰かと笑い、生きられますよね。
 それは、死ぬ時にお花畑を見る事象がドーパミンという一種のホルモンによるという説を思い出させます。
 私たちに具わったメカニズムとして、肉体は死へとプログラムされている一方、心は生存の方向へとプログラムされているのではないでしょうか?
 だから、嫌なことと嬉しいこととがあざなえる縄のように起こる日々にあって、いつしか、嫌な記憶よりも嬉しい記憶の方が強くはたらき、たとえば、上司の小言でムシャクシャしても、一杯やって仲間と愚癡を言えば明日も同じように出社できるのではないでしょうか?
 自分の人生を振り返り、皆さんのお話をお聴きし、周囲の人々を眺めているとそんな気がしてなりません。
 Aさんを苦しめる記憶のぶりかえしも、Aさんにとって価値ある人やモノやできごとに囲まれているうちに、そうしたメカニズムがはたらき、力を弱めるのではないでしょうか?」

Aさん:「そうですね。
 夫や子供は本当に救いです。
 でも、何かに没頭している時は絶対に大丈夫なのですが、休息している時や、何も考えていないような時間帯に、いきなり、やってきます。」

小生:「いわば、心のクセのようなものでしょうね。
 それを変えるには、お子さんが家庭に登場して気配の変わった今が一つのチャンスかも知れません。」

Aさん:「私は、元気な時も、元気を出そうとする時も、アウトドア派です。
 公園へ出かけたり、バーベキューをしたりといった状態です。
 そして静かになった時、〈それ〉が訪れます。」

小生:「休息してパワーを得るには、陽光を浴びる方法と、陽光を避ける方法があるのではないでしょうか。
 日陰で憩うやり方にも慣れると、心が陰った時に〈それ〉がやって来るというパターンを変えられるかも知れませんね。」

Aさん:「へええ、日陰で憩うとは考えたこともありませんでした。
 相手がやって来る時間を先取りしてしまうのですね。」

小生:「もう一つ考えてみるべきポイントは、すでに、よくおわかりのように、過去のできごとはもう、どこにもなく、Aさんの記憶の中身でしかありません。
 そして、それは関わった人たちにとっても、もはや、どこにもないものかも知れないのです。
 小生には、何十年ぶりのお詫びという体験があります。
 自分の心に刺さったままのトゲにも似た悔恨と罪悪感の元を断とうと、思い切って相手に詫びたのです。
 そうしたら、驚いたことに、Bさんはまったく気にしていなかったし、Cさんに至っては、できごとの記憶すら消えていたのです。
 独り相撲は滑稽でしたが、頭で考えていた時間と記憶の問題について動かぬ事実を突きつけられた体験は、大きな衝撃でした。
 空(クウ)を説く経典の理解、感得が一気に進んだような気持がしました。
 心に青空が広がったのは当然です。
 そして、その後、できごとの記憶は消えませんが、思い出す時に付随するのは、かつての辛い悔恨や卑下などではなく、淡い懐かしさになりました。
 不思議なものです。
 このように、Aさんにも、何かそうした体験が起こればよいですね。
 ご本尊様のご加護を祈って、ご加持を行いましょう。」

 こんなやりとりをしてから、ご加持を行った。
 Aさんはスッと法へ入り、安らかな時を過ごした。
 思えば、ご加持も、〈日陰で憩う〉パターンと言えるのかも知れない。
 そこで静かに守本尊様の真言を唱える時間が流れるようになれば、〈それ〉は訪れにくくなるか、訪れても、真言によって消えるようになるだろう。

(付け加えておかねばなりません。
 当山では相手により、状況によって、医者にかかるようお勧めする場合もあります。
 拝めば治る、のではなく、薬を飲んでさえいれば大丈夫、でもないと考えています。
 ささやかな法務を続けてきた者の体験上、宗教と科学の力は人生にとって車の両輪に思えます。
 なお、プライバシーを侵害せぬよう注意しながら文章を書いています。
 日々、人生相談にご来山される方々はどうぞご心配なく。)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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