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2015
09.14

空蝉のすでに生死にかかはらず (大串 章)

 72才の俳人大串章氏は詠んだ。

空蝉(ウツセミ)のすでに生死にかかはらず」


 空蝉とはセミの抜け殻である。
 セミはもう飛び立ち、そこにはいない。
 しかし、抜け殻は、羽化する前のセミが確かにそこにいたことを示している。
 ――いのちの宿っていない目の前の抜け殻は死んでいると言えるのか?

 この世にいる現人(ウツシオミ)が訛ってウツシミ、あるいはウツソミとも言われ、ついに空蝉の言葉が同じ意味を持つようにもなった。
 生きている人間、そして、さらには、この世をも抜け殻と同じ言葉で表現するのは一見、おかしいが、冒頭の句を読むと、その意味がわかる。

 動かぬ抜け殻も(クウ)、動く人間もまた、(クウ)なのだ。
 そこにはモノがあり、ここにはいのちがある。
 しかし、いずれも、仮そめに在るという意味では(クウ)であることに変わりはない。
 氏はそこのところを「生死にかかわらない」と読んだのではないか。

 同じ頃、こうも詠んでいる。

秋風や廃船になほ胸の張り」

 浜辺へうち捨てられた廃船が秋風に吹かれてじっとしている。
 しかし、よく観ると、生き生きと波間を駆け抜けていた頃の流麗な膨らみがまだ、残っている。
 まるで誇りを失っていないかのようだ。
 氏は朽ちて行くものがまとう気配をつかんだ。

 猛暑が去ったら秋雨が続き、豪雨は天災にまでなった。
 天災の下で、人の営みは何と儚いことか。
 空蝉はもう見られず、秋風が主役となった。
 さて、空蝉の世にある空蝉の身を今日一日、どう生きるか……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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