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2015
10.04

滅罪の境地とは? ―空を観れば欲が生きる―

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〈輝くものたち〉

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 滅罪の経典『理趣経』に入ってみましょう。

○『理趣経』にある金剛薩埵(コンゴウサッタ)の悟りを表現した「十七清浄句」

 理趣経の初段には、金剛薩埵の悟りの世界を説き示す「十七清浄句」があります。
 17ある清浄句の第一です。

「欲箭(ヨクセン)清浄の句、これ菩薩(ボサツ)の位なり」


 欲箭とは欲の矢であり、原語のスラタは「ス」すなわち「とても」と、「ラタ」すなわち「快適」が組み合わさり、直接的には性的快楽を指します。
 この矢は愛染明王の手に持たれています。
 
 ここで言う清浄は、お釈迦様が「一切皆(イッサイカイクウ)」と説かれた(クウ)の意味であり、それは、「すべてのものに不変の実体はなく、因縁によって生じ滅していること」です。
 だから、清浄と言っても、〈汚い〉に対する〈浄い〉ではありません。
 むしろ、そうした分け方を超えた次元に到達する仏眼によって観られた〈根源的なありのままの姿〉とでも言えましょうか。
 そうした世界における真実として、「性愛や性的快楽すら(クウ)を根源的ありようとしており、本来的に菩薩(ボサツ)の姿である」と説いています。
 私たちが性的問題で悩んだり、苦しんだりするのは、本来、であるものを自分に都合よく観るところに原因があります。
 だから、「愛してはいけません」「欲望を起こしてはいけません」と、根源的欲求を頭から否定はしません。
 大いなる意欲を持ち、他の喜びを我が喜びとするのが菩薩であり、究極的理想は、自分の修行の完成よりも、他者の救済を先とするところにあるとすら説かれています。
 船の乗客を皆殺しにしようとした悪漢が説得に応じなかったために殺し、罪をかぶろうとした船長の仏教説話などはその例です。

 忌避されてきた性愛や快楽などを「清浄(=)」「菩薩の位(=菩薩の境地)」、いわゆる煩悩即菩提(ボンノウソクボダイ)と表現しています。
 欲が本来清浄(=)であるがゆえに、欲望の持つ力を救済する力に転換できます。
 だから、金剛薩埵は、大欲・大楽を原動力として、俗世にとどまり、衆生救済に励みます。
 一切を空と観る悟りの次元に達しても、涅槃(ネハン)という究極的安楽の世界へ飛翔してしまわず、苦の巷にとどまります。
 こうした強烈な願いと誓いを持つがゆえに、「十七清浄句」は、般若心経などとは異なり、「不」や「無」などの否定的言葉を用いるのではなく、あえて、肯定的で直截的な表現となっています。

 古来、『理趣経』に関しては、相当に修行の進んだ行者にだけ、秘伝として印明(インミョウ)や深意が伝授されました。
 印明とは、手で結ぶ形ある「印」と、口で唱え、あるいは心に流れる「明呪(ミョウジュ)」すなわち真言のことです。
 この二つがなければ、実践方法としての経典は、現実に強くかかわる本来の力を発揮し得ません。
 経典が持つ力を知悉していた実践者たる高レベルの行者たちは、勘が鋭いだけで心のできていない行者により、それが誤って用いられたり、理解能力のない行者に内容を曲解されたりすることを怖れ、伝授に厳しいハードルを設けていたものと考えられます。

 現代に生きる私たちは、飛躍的に発展した情報の流通によって、多くを〈知る〉ことができるようになりました。
 しかし、たやすく手に入れたものは、それだけの価値しか持ち得ない場合が少なくないことを忘れないようにしたいものです。
 北野武氏は言いました。
「ひとつの知識を本物の知識にするためには、何冊も本を読まなくてはいけない。
 それは今も昔も変わらない。」

 今回、滅罪のための経典として取り上げている『理趣経』は特に、読んだり聴いたりして「そうか」と思ったところが〈出発点〉であると考えたいものです。
 空(クウ)の哲学が『般若心経』によって凝縮的に説かれ、『理趣経』によって〈具体的な生き方〉として説かれました。
 私たちが日々の生活の中で過つのは現実です。
 そこを見つめ、何とかしたい、何とかしないではいられない、という地点からこそ、〈具体的な生き方〉が切実に求められます。
 もはや、知識だけでどうなるものでもありません。
 この『理趣経』は、各段(=各章)において、読誦を勧め、功徳を約束しています。
 もしも『理趣経』に救いを求めるのなら、少なくとも、全体のエッセンスである「百字の偈」だけでも実際に心を込めて目で読み、口で唱えたいものです。
 読み下し文を記しておきます。

菩薩(ボサツ)の勝慧(ショウケイ)ある者は 乃至(ナイシ)生死(ショウジ)を尽くすに至るまで
 恒(ツネ)に衆生(シュジョウ)の利を作(ナ)して 而(シカ)も涅槃(ネハン)に趣(オモム)かず

 般若(ハンニャ)と及び方便(ホウベン)との 智度(チト)をもって悉く加持(カジ)して
 諸法及び諸有(ショユウ) 一切を皆清浄ならしむ 

 欲等(ヨクトウ)をもって世間を調して 浄除(ジョウジョ)することを得せしむるが故に
 有頂(ウチョウ)より悪趣に及ぶまで 調伏(チョウブク)して諸有(ショウ)を尽くす

 蓮體(レンタイ)の本染(ンホンゼン)にして 垢の為(タメ)に染せられ不(ザ)るが如(ゴト)く
 諸欲の性(ショウ)も亦(マタ)然(シカ)なり 不染(フゼン)にして群生(グンジョウ)を利す

 大欲(タイヨク)清浄を得 大安楽にして富饒(フジョウ)なり
 三界(サンガイ)に自在を得て 能(ヨ)く堅固の利を作(ナ)す」






 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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