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2015
10.17

イエティに学ぶ ―『ヒマラヤの民話を訪ねて』より―

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イエティ(雪男)の故郷〉

 10月6日に書いた茂市久美子著『ヒマラヤ民話を訪ねて』における「前世での行い」を読んだ方々から、他の話も知りたいというご連絡があり、今回はイエティ(雪男)についてご紹介したい。

タルガ村のイエティ

 そもそも昔、イエティは人間のまねをして暮らしていた。

「昔、タルガ村の山には、たくさんのイエティが住んでいました。
 イエティたちは、昼の間、山の岩陰からじっと村人のすることを見て、夜になると村に降りて来て、その日見たことをまねしました。」


 村人たちが昼にジャガイモや大根を掘れば、夜、そのとおりにするので、困った村人たちは一計を案じた。
 戦争によって、殺し合いをさせようとしたのである。
 まず、酒やごちそうを用意して酒宴を行う。
 そのうちにケンカが始まる。
 やがて刀などの武器まで持ちだして戦う。

「大勢の者がばたばたとたおれ、最後に、
『死んだやつは川にもってって捨ててしまえ』
と、一人が叫ぶと、喧嘩に勝った者たちは、倒れている者をみんな川に運んで言って、放り込んでしまいました。」


 もちろん、酒は水で、刀は急ごしらえの模造刀、すべて芝居だが、遠くの山に隠れて眺めているイエティたちは気づかない。
 そして、徐々に効く毒が入った酒と食べものと本ものの刀が用意され、夜が訪れた。
 村人たちの思惑どおりにことが運び、負けた者も勝った者も亡び、村に平安が訪れた。
 しかし全滅はしていなかったのである。

「たった一匹だけ生き残ったイエティがありました。
 それはおなかに子どもを宿していたため村に降りて来なかったイエティでした。
 このイエティは恐ろしいありさまを見て、人間のすることをまねするとどういう目に会うかを知り、山の奧深く身を隠してしまいました。
 今、時々姿を見せるイエティは、この時に生き残ったものの子孫です。」


 この話には考えさせられた。
 村人たちの芝居は、単なる芝居ではない。
 堅く握手をするかと思えば、たやすく戦争を始める。
 私たちは、生き残ったイエティが〈知ってやめにした〉程度のことを、〈知ってなお、続けている〉のではなかろうか?
 自分が勝者になるだろうという身勝手な前提で争いを起こし、争いの敗者へ無慈悲で、同じ過ちを繰り返す。

 冬に向かう時期になると毎年、必ずイエティが話題に上る。
 いるか、いないか、存在の証拠はこれだ、というお定まりのバラエティ番組的パターンに目を奪われるだけでなく、哀しくも賢い母と子に思いをいたしたいものである。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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