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2015
10.20

コーヒ店永遠に在り秋の雨 ―ああ、喫茶店―

201510200001.jpg
〈『森栖(モリス)』さんにて〉

 昭和53年、俳人永田耕衣は詠んだ。

「コーヒ店永遠に在り秋の雨


 コーヒーの香りが漂う喫茶店は、一種独特な懐かしさを覚えさせる。
 ただし、来客の回転率を計算された現代風の店ではない。
 むしろ、客が〝これで成り立っているのだろうか?〟と心配になるような、〈費用対効果〉を忘れさせる空間でなければならない。
 昭和53年あたりにはまだ、日本のあちこちにそうした店があった。
 ドアを開けた瞬間に、違った時間の流れを感じさせる空間が待っていてくれたものだ。

 作者は神戸市須磨の喫茶店へ通っていたらしいが、この句は湿った情緒をベースにしてはいるものの、一筋縄でおさまらない。
 普通に読めば、行きつけになっている喫茶店のお決まりの席に着き、静かな音楽と雨音へ身を委ねているうちに時が経つのを忘れている、ということになるだろう。
 しかし、それでは済まない。
 とにかく「永遠に在り」が強過ぎるのだ。

 喫茶店で雨音を聴くというよりも、雨音の中で〈永遠なる喫茶店〉を想っているという風情が感じられる。
 そうなると話はまったく違う。
 作者の想念に住む〈永遠なる喫茶店〉的感覚が、秋の雨に誘われて意識へ浮かぶ……。

 小生が上京し、昼食を摂る、あるいは疲れた足を休めたい時に街を見回し、探すのはそうした喫茶店だが、出会う確率は低い。
 もう、間尺に合わない時間を潰す暇人はいないのだろう。
 店主も客も。
 
 78才の作者がこの句を詠んでからもう、40年近くなる。
 今は「恋愛はコスパ=コストパフォーマンスが悪い」と考え、成就するかしないかわからぬ恋愛などに無関心な若者が増えている時代である。
 もしも作者に上記のような想いがあったのなら、その〈永遠なる喫茶店〉はさらに遠くなったと言うしかない。
 そして、団塊の世代が死に絶えた頃にはもう、嫋々(ジョウジョウ)たる情緒の句としか読まれなくなることだろう。
 無論、残っていればの話だが……。

◎追補
 大崎市岩出山の『森栖(モリス)』さん(宮城県大崎市岩出山細峯50-100)はそうした数少ない喫茶店の一つである。
 ただし、週末は満席が多い。
 店主いわく「平日のティータイムや休日の16:00以降は比較的まだ余裕がございます」とのこと。
 定休日や臨時休業日なども確認の上、おでかけになられれば、〈永遠なる喫茶店〉を感じられるかも知れない。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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