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2015
10.27

よく生きることとよく死ぬこと ―『チベットの生と死の書』を読む(1)―

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 ソギャル・リンポチェ師の著書『チベットの生と死の書』は、生と死を考える人へ重要な示唆を与えるであろう一冊である。
 師は「仏法をより近づきやすいものに、現代的、実践的なものにするために著した」とされているが、700ページ近い力作で、なかなか読み通せないかも知れない。
 以下、全体の概要というよりは、いくつかのポイントを挙げておきたい。

 ダライ・ラマ法王は、序文にこう書かれた。

「当然ながらほとんどの人は穏やかな死を迎えることを望んでいる。
 だが暴力にみちた人生をすごした者、怒り、貪り、恐怖などの情念に絶えず心をかきたてられている者にとって、穏やかな死など望むべくもないこともまた明らかである。
 だからよき死を迎えることを望むなら、よく生きるすべを学んでおく必要がある
 安らかな死を望むならば、自らの心に、生き方のなかに安らぎを培っておかなければならない。」

「死と死のプロセスはチベット仏教と現代科学の間に出会いをもたらす。」


 まず、「日本の読者へのメッセージ」である。

「死は敗北でも悲劇でもない、変容のためのもっとも素晴らしい機会なのだということを理解してくれますように。
 そしてまた本書ができるだけ多くの日本人に、霊感と喜びと先進的な実践――それが可能であることをわたしは知っています――をもたらしてくれますように。」


 お釈迦様は試行錯誤の果てに、輪廻転生(リンネテンショウ)の様子をつぶさに眺め、それが因果応報の原理によるものであると悟られた。
 私たちの生はこの世限りのものではないという真実を観るのが仏教の出発点である。
 だから師は、この世の締め括りとなり、新たな世界への旅立ちとなる死は、よりよき生へのステップとなり得るという意味で「素晴らしい機会」と述べた。
 時々刻々と変化してやまない私たちのありようは前世から現世へと、そして来世へとつながって行く。
 いかなる「変容」を遂げるかは、私たち自身にかかっている。

第一部 生きるということ 
第一章 死という鏡


 師は7才の時に、導師が死に行く人の息を吹き返させ、意識をよき世界へと転移させるポワの修法を目にした。

「師がはじめの『アー』を唱えると、ラマ・ツェテンがそれに和する声がはっきりと聞こえた。
 二度目、彼の声は遠くなり、三度目には声は返ってこなかった。
 こうしてラマ・ツェテンは逝った。」

「ラマ・ツェテンの死は、ひとつの精神の勝利の表れだった。」


 当山でも「アー」と唱える阿息観(アソクカン)を行う。
 一息ごとに阿字(アジ)で表す大日如来の世界へ溶け込む訓練を実践していれば、死が訪れる時に慌てる必要はない。
 死に神などの幻にオタオタすることもない。
 それを師は「精神の勝利」とした。

 チベットではこう言われている。

「人はしばしば死に対して軽率になるという間違いを犯す。
『ああ、そう、死は誰にでも起こる。大したことじゃない。自然なことだ。私は大丈夫』と答える。
 これはすばらしい理論だ。
 ただしその人が死に直面した途端に役に立たなくなるが。」


 一方ではこんなタイプの人もいる。

「死はすべてをうまく運んでくれる、何も心配することはない、なぜだか理由はわからないが……。」


 しかし、しばしば死の現場に立ち会う医師の実感はこうである。
「いざという時になって、その人の心の底が顕わになる。」
 そうに違いないと思う。
 私たちは「晩節を穢す」という言葉を知っている。
 これでは情けない。

「世界中のすべての偉大な宗教的伝統(もちろんキリスト教もそうだ)が死は終わりではないと断言してきた。
 それらすべての伝統が何らかの形で来世を展望し、その来世の展望が現世に聖なる意味を吹き込んできたのだ。
 だが、こういった教えにもかかわらず、現代社会は総じて精神的砂漠となり果てている。
 たいていのひとがこの生こそがすべてだと思い込んでいる。
 死後の生に対する真の信頼すべき信仰を持つこともなく、ほとんどの人が究極の意味を奪われた生を生きている。」

死を否定することがもたらす破壊的な影響は個人にとどまらない。
 それはこの惑星全体を蝕んでいる。

 この生が唯一のものと信じて、現代人は何ら長期的展望を立ててこなかった。
 そうなると、即座に得られる結果だけを求めて地球からの収奪が起こる
 押しとどめるものは何もない。」

「現代産業社会はひとつの狂信的宗教である。
 われわれは破壊し汚染している。
 この惑星のあらゆる生態系を台無しにしている。
 子供たちには返済不能な借用証書に、われわれはサインをしようとしているのだ
 ……まるでこの惑星の最後の世代であるかのように振る舞っている。
 心に、精神に、ヴィジョンに、根本的な変化が起きないかぎり、地球は火星のようになってしまうだろう。
 黒く焼け焦げ、死ぬだろう
。」


 私たちは〈畏れ〉を忘れた。
 それは人間を超えた大いなるものを感得する宗教的感覚を失いつつあるということである。
 自分の〈今〉を楽しもうとし、〈今〉に終止符が打たれる死を怖れている。
 我執による楽しみこそがやがて苦をもたらす根本原因であり、真に怖れるべきは、その苦が永続することなのに……。
 この勘違いによって私たちは、核発電から生じる〈核のゴミ〉を地球上に積み続けている。
 自分で処置のしようがない恐ろしいゴミの処理を、可愛い子供や孫へ押しつけたまま、今を楽しもうとしている。
 また、地球の砂漠化や温暖化も勘違いの結果である。
 私たちは、種を絶滅させ、肺呼吸する生きものたちが棲息する陸地をどんどん失い、風雨を凶暴化させつつ、今を楽しもうとしている。
 こうした恥知らずな文明が永続するはずはない。
 師の予言は厳しい。
 地球は確かに「黒く焼け焦げ、死ぬ」しかないのだろう。
 徐々にか、それとも核兵器による戦争、あるいは核発電所の爆発によってたちまちにか……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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