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2015
11.02

志と生き方の共有 ―今月の聖語─

 お大師様は説かれました。
「古の賢人は、人と会うことを必ずしも貴ばない。
 大切なのは、いかに遠く離れていても、固いと生き方を共有していることである」
 
原文です。
「古人面談を貴ばず
 貴ぶ所はを同じくするに在るのみ」

 お大師様の時代は今と違って、お互いの意を確認する手段としては、面と向かうか、それとも手紙でやりとりするしかありませんでした。
 もちろん、電話やネットはありません。
 こうした環境にあって、遠方にいる人と会うことの重みは、今の何万倍もあったはずです。
 それでもなお、それほど重要な〈面談〉の価値よりも、と生き方の共有はずっと貴いのだと説かれたのです。

 おそらくお大師様は、他心通(タシンツウ)という他者の心を知る力を具えておられたでしょうから、会わなくても肝腎な相手との通じ合いは行っておられたものと思われます。
 とは言え、天皇や高官とはどうしても会わねばならぬ状況がたくさんあったので、都と高野山の往復は長く続きました。
 お大師様は入定(ニュウジョウ…瞑想状態に入ったままになること)される6日前、弟子たちへ「吾れ永く山に帰らん」と〈その日〉を宣告されました。
 そして、自分が旅立ったあとは、仏法僧の三宝がお前たちを守るので悲嘆にくれず修行を続けよと説かれました。
 自分とはもう会えなくなるけれど、自分は〈このまま〉弥勒菩薩(ミロクボサツ)の浄土へ行ってお前たちを観ているし、と生き方はバトンタッチされているのだから、迷うことはないぞ、と叱咤激励したのです。

 事実、私たちは今でも、「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」の御宝号をお唱えすると、お大師様との通じ合いを感得できます。
 面談は叶わなくとも、を同じくしているからでしょう。
 今日も、それを信じる善男善女が四国の霊場を歩いています。
 当山の「みやぎ四国八十八か所巡り道場」は何としても完成させたいと念じています。

 そうそう、「と生き方の共有」とは、何も、お大師様のように活躍し、山中に籠もることを意味してはいません。
「私たちは皆、み仏の子として尊い霊性を共有しており、それを確認するために、身体と言葉と心とをできるだけ、み仏へ合わせて行く努力をする。
 そうすれば、その人なりに、み仏の子らしい人生になると信じて精進する。」
 これだけのことです。
 どうでしょう。
 共有できそうではありませんか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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