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2015
11.08

神は地上におはし給はず冬の虹 ─飯田蛇笏─

201511080002.jpg
〈会津の冬空にかかったをお借りして加工しました〉

 11月8日は立冬である。
 今年もとうとう冬を迎え、が一段と儚さを感じさせる時候となった。
 太平洋戦争敗戦から7年後となる昭和27年、俳人飯田蛇笏(イイダダコツ)は詠んだ。

「神は地上におはし給はず冬の


 冬の空に鮮やかなが浮かんでいる。
 多くの人びとは美しさに惹かれ、「あっ、だ」と喜んで眺める。
 つかの間、幻のように浮かんでは消えるアーチは、天への架け橋であるかのようだ。
 天におわす神が何かを約束される徴(シルシ)と観るクリスチャンの方々にとっては、特にありがたい吉兆であろう。

 と神と言えば、映画『黒い雨』を思い出す。
 広島で被曝し、死に逝く人びとの生と死を描いた映画の最終場面、閑間(シズマ)重松は、倒れて病院へ運ばれる姪の矢須子を見送りながら、思う。
〝―─今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。
 不吉な白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ……〟
 モノクロの映画はついに虹を見せることなく幕が降りる。
 この映画の原作が井伏鱒二によって書かれたのは昭和40年、映画が公開されたのは平成元年であり、冒頭の一句は『黒い雨』をふまえたものではない。

 しかし、戦争と死はふまえている。
 蛇笏は長男をレイテ島で失い、外蒙古で抑留された三男も失っている。
 三男もまた社会人になる一歩手前で、病死した。
 神が天におわすかどうかはいざ知らず、少なくとも、人間が棲む地上には決しておられない、という慟哭が「地上におはし給はず」と詠ませた。
 
 敗戦から70年、地上の地獄を体験した方々のうちいったい幾人が、こうした思いで虹を眺めて来られたことだろう。
 昭和21年に生まれた小生は、傷痍軍人や米兵に〈戦後〉を感じつつ、モノの不足な時代を生きたが、戦争による喪失そのものを体験してはいない。
 それだけに、映画や小雪の『黒い雨』、あるいはこうした句に接すると、戦争そのものに巻き込まれ、戦後を背負いながらの人生を過ごして来られた方々のお気持は〝いったい、いかばかりか〟という強い思いが起こる。
 息子三人を失った67才の男が眺める虹とは……。
 あまりにも深々と心へ切り込んでくる忘れ得ない一句である。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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