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2015
11.10

私たちは本当に考えるべきことを考えているだろうか? ―『チベットの生と死の書』を読む(6)―

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〈トンネルの向こうへ〉

 ソギャル・リンポチェ師の著書『チベット生と死の書』は、生と死を考える人びとへ重要な示唆を与える一冊である。
 伝統仏教の最先端を示し、かつ、最奧をもかいま見せる高貴な魂の結晶である。
 師は「仏法をより近づきやすいものに、現代的、実践的なものにするために著した」とされているが、700ページ近い力作で、なかなか読み通せないかも知れない。
 以下、全体の概要というよりは、いくつかのポイントを挙げておきたい。

人生はあまりに忙しく、やっとものを考える時間ができるのは死のときだ。
 私たちはより多くのもの、より多くのこと、より多くの楽しみで身をかため、〈無常〉へのひそかな恐怖をまぎらす。
 だが、気がついたときにはそういったものの奴隷になっているのだ。
 時間と労力はただひたすらそれを維持することに費やされる。
 やがて、それらを後生大事に守り続けてゆくことが人生の唯一の目的となる。
 変化が起きると応急処置で対応する。
 うわべだけの間に合わせだ。
 こうして人生は流れてゆく。
 重病や災難にゆり起こされて、惰眠を破られるまでは。」


 私たちの多くは、社会内(家庭も含め)のポジションに応じた役割を果たすのに懸命だ。
 もちろん、それはそれでまっとうな生き方だが、ふと、〝私は何のために、与えれたノルマを達成せねばならないのだろう?〟と疑問に思えたりする。
 想定外の厄難が起こり、これまでどおりの前進ができなくなった時、〝私の人生って何だったのだろう?〟と空しくなったりする。
 何かの〈ため〉に時間と労力と、あるいはお金も費やしているはずだが、その〈ため〉の価値に疑問が生ずる。
 無常がうすぼんやりと姿を見せているのだ。
 そうした時にはきちんと立ち止まる必要がある。
 もしも状況が立ち止まりを許さない場合は、疑問を手放さないことが大切だ。
 この、自ら問い、自ら答を探すことこそ、私たちが真に自分の人生の主人公であるための必要事項である。
 
 重病や災難は、強制的に重要事項の真実を私たちへ突きつける。
 私たちは途惑いつつも、ようやく〈我に返る〉のだ。
 本来、自分が自分の人生の主人公だったことに気づく。
 自分がこれまで〈かまけていた〉諸々のものたちは、仮そめの主人公だったのだ。

 人生の主体性について指摘した師は、次に、私たちが肝腎な疑問を発していないと説く。

「本当に私たちのもっとも深い欲求が生きること、生き続けることにあるとしたら、なぜわたしたちは死が終わりだとかたくなに言い張るのだろう。
 なぜ死後が存在するかもしれないという可能性を探ってみるくらいのことをしないのだろう。」


 私たちの誰もが、幸せに生きたい、他から害されたくないと願い、〈ずっと〉そうありたいと願っている。
 一方で、生きものは必ず死ぬという事実を知っている。
 だから、〈願い〉の期間を、いつしか、自分が生きている間に限定してしまう。

 私たちは本当に、本当の願いと矛盾した存在でしかないのか?
 なぜ、誰にも恥じることのない本心を隠したままで、それを無いことにして生きているのか?
 本心を貫き通せる可能性を探らないのはなぜか?
 肉体の死は、すべてが無に帰することなのか?

 私たちは、こうした問いを問わないままで、果たして人生に誠実であると言えるだろうか?

「みずからに真剣に問うことから始めてみてはどうなのか。
 わたしたちの真の未来はどこにあるのか、と。」


 未来がどこにあるか、と問うことは、過去はどこにあったのか、と問うことにつながる。
 私たちが未来を持つ存在ならば、未来から見た現在は過去となり続けており、私たちは過去を持つ存在でもあるからだ。
 私たちは、「死ねばそれまで」をいわば常識として暮らしているが、ダライ・ラマ法王は端的な事実を示す。

「生まれ変わりである幼い子供が、前世でかかわった物や人のことを思い出すのはよくあることだし、教えられてもいない経典を暗誦できる子供もいる。」


 また、スティーヴンソン教授の「生まれ変わり」現象に関する科学的調査は一定の評価を得ている。
 世界で最古の歴史を誇り世界中の研究者が眼を通す神経・精神病学に関する月刊紙『Journal of Nervous and Mental Disease』が博士の研究を特集したおりには、編集長を務めたユージン・B・ブローディ教授がこう発言している。

「このような特集を組んだ理由は、執筆者が、科学的にも個人的にも信頼に足る人物であること、正当な研究法をとっていること、合理的な思考をしていること、といった点にある。
 以上の条件が満たされるなら、人間の行動に関する知識の増進をめざす雑誌が、このようなテーマの論文を自動的に不採用にすべきではないし、そうしてはならない義務があると思う。」


 私たちが普段、思う以上に、生まれ変わり、つまり前世と来世の存在、あるいは輪廻転生は仏教の世界だけでなく、精神科学の世界でも真剣な探求が行われている。
 
 さて、自分にとっての未来とは、本当に、自分が死ぬまでの間にしかないのだろうか?
 こうした問いを問い、考えるのは人生の重大事ではなかろうか?

「わたしたちは人生の重大事に時間を費やしたいと思っているが、そんな時間はけっしてやっては来ない。」

「まるで人生がわたしたちを生きているかのようだ。
 人生がそれ自体の一種奇妙な惰性を維持するために、わたしたちを突き動かすことによって、わたしたちを生きているかのようだ。
 そしてついには、わたしたちは人生が自分の手にあまるもの、選択の余地のないものと感じるようになる。」


 私たちは確かに忙しい。
 ふと、根本的な問いが頭に浮かんでも、そんなことでボーッとしてはいられず、カバンを抱えて飛び出す。
 友人との会話にこうした問いを持ちだそうものなら、「疲れているんじゃない?大丈夫?」と心配されるのがオチかも知れない。
 でも、私たちはいつか必ず、問いを問わず、日常生活のあれこれに流されているだけでは済まない状況にぶつかる。
 そこで〝もう、どうしようもない〟と思う時、人生は〈自分の手にあまるもの〉として立ち顕れる。
 これまで、自分が自分の人生の主人公でなかったことに気づく。
 いつしかパターン化した人生が、私たちのいのちと時間を支配していたのだ。

チベットの人々は、外的環境を快適にしようとしてすべての時間をそれに費やすようなことはしてこなかった。
 食べるものがあり、着るものがあり、頭の上に屋根があれば、それで十分だった。」

「わたしたちが今のやり方をつづけ、生活環境の向上に夢中になっていると、それは無意味な気散じとなり、それだけで終わってしまうことになりかねないのだ。」


 私たちが〈生活環境の向上〉を願い、工夫するのは当然である。
 誰しもが、よりよく生きたいからだ。
 しかし、ここで私たちは目的と手段を間違えやすい。
 よりよく生きるための手段として生活環境の向上が求められたはずなのに、いつしか手段が目的化し、目的が何だったのか忘れられてはいないだろうか?
 そもそも、本来の〈目的〉こそ、最も真剣に考え続けられねばならなかったはずなのに。

 おりしも、11月8日の報道によれば、政府は「1億総活躍社会」を実現するための方策の一つとして「スポーツGDP拡大構想」を掲げ、今後10年間でスポーツや文化に関連した産業の規模を3倍以上にするという。
 スポーツ産業の市場規模を現在の5兆円から15兆円にするらしい。
 国民のうちいったいどれだけの人々がこんなことを望んでいるだろう。
 そのスポーツはいったい誰が楽しむのか?

 健全な成長のためにスポーツが最も必要とされる子供たちの貧困は目に余る。
 いじめによる自殺が日々、報道されているが、文部科学省の発表によれば、その2・5倍の子供たちが経済的困難で将来を悲観し、自殺しているのだ。
 また、新聞にはこうした投書があふれかえっている。

「欲しいものというのは、高価なものではなく、交通費やお昼ご飯、ノートのお金。
 高校時代はボロボロのシューズを履き、恥ずかしい思いをした。」(長崎県・10代女性)

「児童相談所で働いている。
 子供の貧困とは衣食住に不安を感じる生活はもちろん、経済的理由によって親とゆっくり過ごせる時間が少ない、自立を強いられる、子供らしく遊ぶことを制限されるなど、経験やその後の人生が制限されてしまっている状況をさすと考えています。」(千葉県・20代女性)


 私たちは根本的な疑問を知っている。
 私たちは恥を知っている。
 私たちは見捨てられない。
 何としても立ち止まらねばならない。
 せき立てられ、あるいは目の前に幻のニンジンをぶらさげられ、〈無意味な気散じ〉に投げ込まれたままでよいはずがないと思う。
 親も子も、真に大切なことをよく考えたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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