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2015
11.15

お正月には仏様と神様をお迎えしよう ─感謝し謙虚になる大切な機会について─

201511150001.jpg

 今から約700年前、吉田兼好は『徒然草』へ書きました。意訳です。

大晦日(オオミソカ)の夜更けから松明(タイマツ)などを灯し、夜半過ぎまで騒がしく、忙しく人々は走り回っているが、明け方になって静まりかえると、過ぎ行く一年に惜別の思いが起こり、心細くもなる。
 新年を迎える時期に訪れてくるご先祖様や新精霊をお祀りする大晦日は、門松を立てるなどの準備を行ったものだが、そうした慣習としてのお正月は都で廃れ、東国で今なお行われていることにしみじみと情趣を感じる。
 そうこうしているうちに迎える新年の景色は大晦日と違うわけではないが、どことなく新鮮な気持になるものだ。」

 原文では、お正月の準備が「亡き人のくる夜とて魂(タマ)祭るるわざ」とされています。
 新しい年を共に祝おうと、あの世の方々も降りて来られるので、お迎えするために御霊の飯を用意し、門松を立て、この世の人もあの世の人も、うち揃って年神様・正月様のご加護にあずかろうとしました。
 節の食べものを準備するのは神々に対する心づくしのお供えであり、家中を掃き清めると共に心の罪科も浄め、注連縄(シメナワ)を張って結界をつくり、神様へ捧げた食べものを一緒に食べる相饗(アイニエ)によって神と人との一体化を願うのが、年夜にお節料理をいただく本来の意味でした。
 お正月の料理をたくさん作っておくのは、女性陣が楽をして過ごすためというよりは、日常生活の騒音でお迎えした御霊と神々を患わせないための心遣いなのです。
 さて、仏教徒にとって見逃せないのが、お盆での御霊祀りに対応する形でお正月にも御霊祀りが行われていたことです。
 吉田兼好の時代にはすでに御霊への供養が廃れ始めており、都という大都会では、人々が過ぎ行く一年の決着をつけようと、慌ただしく行き交うばかりであると嘆いています。
 原文を読むとその趣がわかります。

「夜いたう暗きに、松どもともして、夜半(ヨナカ)すぐるまで、人の門(カド)叩き走りありきて、何事にかあらむ、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふ」
        ◇
 日本人はそもそも、あの世の方々も、この世の人々もうち揃って新年を迎え、神々へ安寧を祈りました。お盆にはあの世の方々をご供養した上で、続く秋祭には神々と豊饒を祝いました。
 私たちは、新たな一年を迎える時期と、いのちをつなぐ稲の刈り入れの時期と年に二回、御霊祀りを行い、共にこの世の永続と繁栄を願ってきたのです。
 そこで自然に起こる敬虔な気持は感謝や謙虚さをもたらし、伝統的な叡智が煩悩の暴走をコントロールしたのではないでしょうか。
        ◇
 ところで、東日本大震災で大きな難を逃れた地域の方々が、古人の言い伝えに従った生活を行い、言い伝えどおりの退避行動をとっていたという例がいくつもあります。
 消えない叡智が未曾有の大災害から人々を救ったのです。
 しかし、そうした叡智を忘れた私たちの煩悩の暴走は今や、文明的な暴走になっていると思われてなりません。
 思想家佐伯啓思氏は極めてわかりやすく示しました。

「エネルギーを節約して楽をし、快楽や愉楽を大きくしたい、という。そのために自動車を動かし、高速鉄道を作り出した。
 ところが、ここに大きな矛盾があって、労力を省き、楽をし、快適に暮らしたい、というその欲望がまた、これまで以上の労力を要求するのである。
 もっと早く移動したい、もっと楽に移動したい、という欲望が自己増殖しだす。
 そして、もっと高速の車を、より高速の鉄道を、より早い飛行機を作り出すために、われわれはこれまで以上のエネルギーを投下しなければならない。
 これが『現代』という時代の宿命である。
『流行』を追うことは、常に新奇なものへ目をむけることであり、それは既存のものを打ち捨てることである。
 昨日の自分を自己否定して、明日の自分はより幸福だと期待することである。
 そして、そのために、昨日より、いっそうのエネルギーを費やす。
 明日の幸福のために。
 しかし、『明日』はエンドレスに続くのだ。」(『風の旅人 第50号』掲載「加速化社会が失うもの」より)


 私たちがとり憑かれている一種の〈改革病〉は、氏の言う「時代の宿命」そのものではないでしょうか?
 いったん誰かによって改革の旗が掲げられると、その真偽を問う間もなく我先にと走り出す光景は、異様としか言いようがありません。
 最初から賛成と反対は白黒に分けられ、「昨日の自分を自己否定して、明日の自分はより幸福だと期待する」賛成派は正義の使者を気取って容赦なく、その結果、白と黒は尖鋭に対立し、斬り合うしかなく、膨大な血が流されます。
 ここでの主役は傲慢さであり、決定的に欠けているのは謙虚さです。
 今の日本で最大の問題は、決して社会の構造などではなく、社会を動かそうとする人々の傲慢さであると思えてなりません。
 おちついて考えてみましょう。
 先人たちが叡智をふりしぼり営々として作り上げてきた日本の仕組みがまったく間違ったものであり、一部の人間が神のごとき智慧でそれを否定し、〈改革〉すれば、私たちの暮らしが一気によくなるなどということがあり得ましょうか?
 私たちが最も望んでいることは、私たちの誰もが安心して人間らしい暮らしを続けられる世の中になることではないでしょうか?
 そのために社会を動かす立場にある人々へ第一に求められるのは、改革と称して独り善がりな思いつきの旗を掲げる傲慢さを離れ、私たちの声に耳を傾け、多くの人々が切実に求める具体的で身近な〈改善〉を着実に実行する謙虚さと粘り強さではないでしょうか?
 目に見えぬものにせきたてられ、昨日までの自分を否定させられ、明日のために競争させられつつ過ごしますが、実は、そうして夢のように過ぎ行く〈今日〉にしか、いのちの真実は求めようがありません。
        ◇
 お正月は一年という一括りの時間を振り返り、自分の歩み、家族の歩み、そして社会の歩みを客観的な視点から眺めてみる貴重な時期です。
 そこにはいかなる変化があったでしょうか?
 それは、私たちが心から求めていたものだったでしょうか?
 求めていたとおりにならず、求めていなかった結果が出たのはなぜだったのか?そこをこそ、直視しましょう。

 お正月を目前にし、神様を祭って前向きになるだけでなく、ご先祖様を祀ってご供養する行為がセットになっていることを思い出しましょう。
 それを行う時、私たちの心に敬虔な気持が生じます。
 ご先祖様に感謝して神様の前で謙虚な気持になることの現代的な意義も考えてみましょう。
 ご先祖様がない人は一人もいません。
 この師走からお正月、慌ただしい中にもご先祖様を想う心の余裕を持ち、よき年末年始となるよう願ってやみません。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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