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2015
12.02

悟りの心へ入る ─師走の聖語─

2015112100015.jpg

〈ジャズスポット・エルヴィン(宮城県登米市迫町佐沼)様にて〉

 今月も、お大師様の聖語に学びましょう。

「もしも、心中にある悟りの心へ入ることができれば、そこがそのまま、み仏の極楽浄土である。
 悟ったままの姿で、あらゆるみ仏のご加護を実現できる」

 私たちは、最高の安心が得られる世界と言えばすぐに極楽浄土を思い描くのではないでしょうか。
 太陽の沈む西方にある阿弥陀如来の浄土という考え方もありますが、そもそも、み仏のおわす場所は、私たちの心の中です。
 私たちの心を離れては、どこにもみ仏の世界はありません。

 お大師様は、み仏のおわす場所を「心中(シンジュウ)にして即ち近し」と説かれました。
 だから、身体も言葉も心もみ仏と一つになれば、それは、み仏の姿になったということであり、〈そこ〉こそが、極楽浄土です。
 そして、み仏になった人は誰でも、救いを求める人々のため、相手に必要な救いの手をさしのべることが出来るのです。
 以下は、原文です。

「もし本(モト)に帰すれば即ち是れ蜜厳(ミツゴン)国土なり。
 座を立たずしてよく一切の仏事を成(ジョウ)ず」


 人は死ねば灰になり、それっきり何もなくなってしまうわけではありません。
 私たちは合掌しますが、それは相手があってのことです。
 手を合わせる心のある方は、無意識のうちに、目に見えない何ものかがどこかに存在することを感じとっておられます。

 小生がご本尊様と一体になり、お戒名を授かる時も、目に見えない世界と不思議な通じ合いをします。
 たとえば、こんなことがありました。
 一番上の二文字である院号に魂の色合いを示す文字が現れ、真ん中の熟語である道号(ドウゴウ)にこの世での生きざまが現れ、なかなか最後の法名(ホウミョウ)が現れないで祈っているうちに、ポンと花の一文字が出ました。
 唐突な感じで、理由はわかりません。
 降りたお戒名を持ってお通夜へかけつけると、その一文字は。故人が最後まで気にかけていたお孫さんの名前だったのです。
 また、院号と法名の得も言われぬ響き合いが生じ、それは、故人のご友人が涙ながらに読み上げた故人のご生涯そのものだったりもします。
 
 こうした体験を重ねていると、ユングが重要視したシンクロニシティ(共時性)の真実性を実感します。
 故河合隼雄博士はこう述べておられます。

「何か同時的に不思議なことがぱっと起こるが、それは因果的に説明できない」
「因果的に説明不能であるが、共時的に起こる現象というのがどうしてもあると思わざるを得ない、とユングは言っているわけです。
 そしてそこに非常に大きい意味がある、とユングは言っているわけですね。」(京都大学での最終講義より)


 上述の戒名に接した方々の多くが、「非常に大きい意味」を感じとられ、お送りする葬儀の場が何であるか、その真の意味を実感されたりします。

 私たちは、何よりも、至心に合掌することで、お大師様が説かれた「本に帰する」姿になっています。
 そして心を静め、澄ませれば、その方なりの「蜜厳国土」へ入れます。
 また、現れたお戒名に心が揺すぶられた時は、その感動の中で故人へ思いを向けましょう。
 きっと、何かの通じ合いが実感できるはずです。
 今月は「本に帰する」を心に留めつつ生きてみませんか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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