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2015
12.24

殺人者の夢枕に思う ─夢・亡霊・廻向─

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〈磨かれ、鮮やかな紅色をまとった六地蔵様〉

1 殺人事件と夢枕

 12月22日、奈良県警は、無職の川中浩容疑者(52才)を殺人の容疑で逮捕した。
 殺されたのは内縁の妻(82才)である。
 川中容疑者は滋賀県警に自首した。
「実は口論になって人を殺した。
 被害者が枕元に立って、仕事も手につかなくなった」
 
 夢枕に立つ被害者の亡霊に悩まされて自白した例としては、昭和46年に8人の女性を殺した大久保清事件が思い出される。
 スポーツカーに乗り画家を装った被告は幾度も刑務所暮らしをした結果、連続殺人事件を起こし、逮捕後も暴れたりしたが、最後は夢枕に立つ被害者たちの亡霊に耐えきれず自白した。
 また、4人の遺体が埋められていた現場近くでは、ことが発覚する前から幽霊を見る人が相次いでいた。
 被告は証言を覆さないと誓い、2年後に前橋地裁で死刑判決を受けても控訴せず、その3年後には東京拘置所で死刑が執行された。
 被告は最後まで死霊に怯え、死刑を怖れていたが、謝罪や懺悔は一切、なかったとされる。

2 制御できない無意識

 犯人は二人とも夢枕に立つ亡霊を見て、どうにもならないところまで追いつめられたが、それは当然である。
 無意識が起こすものであり、無意識の領域は意識つまり自我が直接、関与できないので、見たくなくても止められず、無意識の世界が変化するまでその夢は反復され得る。

無意識の自立性は情動が起こる時に始まる。
 情動は思いどおりにはならない本能的な反応であって、その反応は意識の合理的な秩序を自然力の爆発によって攪乱する」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)

「我々は無意識を無と呼ぶが、しかしそれは潜在している現実である」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)


 夢は自我のコントロール圏内にはないが、自分のと無関係ではない。

「デカルトが『考える』ことを重視したのに対して、たましいは『想像する』ことを重視する。
 想像(イマジネーション)こそは、たましいのはたらきであり、それを端的に体験するのは夢であろう。
 夢の大切な特徴は、それが人間の意識的自我によって支配できぬことである。
 夢は自我のつくり出したものでない証拠に、われわれは夢の展開がどうなるかまったくわからないし、『思いがけない』人物が登場し、展開が生じる。
 つまり、夢創作の主体は自我ではない。
 このような夢を創り出す主体をたましいであると考えてみるのである」(河合隼雄著『宗教と科学の接点』より)


 私たちは、実際には見たことのない光景を夢の中で幾度も見ることがある。
 意識の外に追いやりたい、記憶から消してしまいたい被害者の様子が繰り返し夢に登場したとて、何の不思議もなく、かつ、どうしようもない。
 夢にうなされ、目覚めては烈しい情動が起こり、事実を口にせずにはいられなかった二人の葛藤はいかばかりだったことか。

3 亡霊廻向

 では、亡霊はいるのか?

 一つは、死後、転生(テンショウ)する先が定まっていない中有(チュウウ)の御霊である。
 行く先がわからず、かつ、引導(インドウ)も渡されぬままの死者は、浮遊するしかない。
 インドのギュメ寺元管長ドルジェ・ターシー師は説く。

「中有の状態は決して楽ではありません。
 むしろ苦しみそのものです。
 なぜなら自分の生まれる先を必死で探さねばならず、また自分の心の投影であるさまざまな化けものや猛獣が現れて本人を苦しめるからです」


 だから、引導とご供養は重要である。

 もう一つは、この世への執着心により地獄などへ堕ちた御霊である。
 同じく、ドルジェ・ターシー師の言である。

「死ぬ際にとりすがって泣きつくと、死に向かう者の気持は大きくとり乱されます」
「死ぬ前にはその人が喜ぶようないい話をしてあげるのです」
「仏法に関する話をしてあげて、法に心が向く状態で死なせてあげることが死者を見取る最高の方法です」


 だから、感謝をもって送ること、ご葬儀における「お別れの言葉」に託すまごころなどは重要である。

 こうしたことを考えても、〈浮かばれない〉御霊が犯人に対して強い怨みの念を持ち続け、生死を超えた広大な無意識の領域で何かの感応が起こり、犯人の〈悪夢〉につながったものと思われる。
 ちなみに、当山では、さまざまな修法の最後にこうした願文を唱える。
「いまだ成仏せざる者には、願わくは成仏せしめん」
 修法の功徳(クドク)を未成仏霊へ廻向(エコウ…廻し向けること)するのである。
 当病平癒や商売繁盛のご祈祷でも、三回忌供養の修法でも、目的とする内容の如何を問わず、ご本尊様からいただいたお力の一部を未成仏霊へふり向け、少しでも成仏への縁としたいと願っている。
 善き願いをもって修法の場に臨んだ善男善女にとっても、善行(ゼンギョウ)の功徳を広く廻向することがさらなる善行となり、本来の目的達成の力となるはずである。

4 日常生活における廻向

 最後に廻向について述べておきたい。
 もちろん、最高の廻向は寺院での修法を依頼することだが、日常生活においてもそれは可能である。
 たとえば咲いている花を見た時は、御霊に対して誓いたい。
〝自分もこの花のように、いかなる雨風にも耐えて自分なりの心の花を咲かせます。
 だから、どうぞご安心ください。
 どうぞ、お見守りください〟
 そして言葉どおりに忍耐し、きちんと生きる姿を見ていただくのである。
 これこそが、菩薩(ボサツ)になるための「忍辱行(ニンニクギョウ)」であり、その功徳を廻向することは、在家の方々にとってすばらしい善行になる。
 こうした善行にいそしんでいれば、無意識の世界が穢れたり歪んだりせず、悪夢にうなされることもあまりないはずである。

 もしも悪夢に苦しむ時は、いつでも修法を受ければよい。
 東日本大震災後、急に濁った井戸を埋めたAさんは悪夢に悩まされるようになった。
 井戸の修法を受けた日から悪夢は去った。
 若い頃からやりたい放題だったBさんは、急に奥さんを亡くしてから眠れなくなり、当山の門を叩いた。
 あらためて御霊のご供養を行ったところ、体調を取り戻された。
 いずれも、〈思い当たる節〉があるのに放置しておいたのが原因だったと推測される。

 夢は知らせであり、警告であり、導きでもある。
 それは、自分の生活を陰から動かす無意識という氷山が水面上に出した頭のようなものであり、慎重に対応したい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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