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2015
12.26

夢と希望と戦争と

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 私たちは、新たな一年を迎えてを描き、希望を持ちます。
 では、希望とはいかなるものか少々、考えてみましょう。

 文学博士大喜直彦氏は述べます。

「『』とは将来実現させたいと思っている事柄、『希望』とは将来に対する期待である。」(『神や仏に出会う時』より)

「『希望』があってこその『』である。
 『希望』がなければ、『』は単なる空想的な理想にすぎないではないか。」


 たとえば、大リーガーになるのが、そのを実現するために野球の名門校へ入学するのが希望です。
 野球部の充実している学校へ入れなければ、少年が大リーガーになりたいという願いは空想でしかなくなる可能性があると言えましょう。
 中世びとを研究している氏は、自然=神仏を身近に感じながら生活した人びとの歴史を思い起こしてみることによって、深刻な環境問題などへ対処するヒントが得られるのではないかと述べています。
 具体的な希望を持ててこそ、安全、安心な地球環境を取り戻すという夢へ向かって進めます。
 たとえば、インドや中国における深刻な大気汚染に対して、一足先にそこを通り抜けた日本は、体験と技術をもって具体的に貢献したいものです。

 一方、法学博士小室直樹氏は述べました。

「人類社会はつねに過程のことである。
 最終的な桃源郷しか考えない人は困ったものだ。
 それに理想とは、現実に可能ないくつかの選択肢の中で最良と思われるものごとである。
 実現可能性が証明されないものは、理想ではなくて白昼夢である。」(『新戦争論』より)


 ここで言う「理想」は、上記の「希望」にほぼ該当します。
 たとえば、まったく勉強をしないでテストが0点ならば、進学という希望は理想的な進路ではなく、白昼夢にしか過ぎません。

文明が崩壊した状態は野蛮である。
 野蛮とは自然状態のことである。
 本能のおもむくままということである。
 文明社会は、今さら、『自然』に戻るわけにはいかない。
 『自然』とは、文明社会がもっとも恥ずべきもの、百方手を尽くして避くべきものである。」

「日本人は自然が好きだ。
 自然を愛好し、人工は忌むべきものだと考える。
 しかし、この表現をぎりぎりつめてゆくとたいへんなことになる。
 文明の否定につながりかねない。
 『人工』こそ文明の核心である。」


 私たちが生きている地球上は、人間にとって、文明に覆われた世界です。
 ヒマラヤやアマゾンの秘境といっても、排気ガスの影響から逃れられる一坪の土地もなく、飛行機から眺められる時点ですでに、文明の下にあることを意味します。
 人間は、ありとあらゆる分野に対して、常に〈人工〉をはかっています。
 私たちは、工夫せずに生きられないいきものだからです。
 氏は、こうした観点から説きました。

戦争は、自然の次元にあるものではなく、高度に人工的なものである。」

戦争とは、国際紛争解決の最終手段である。」


 戦争平和も、私たちの工夫から離れて自然に存在することはありません。
 平和な世界を〈夢〉見るならば、私たちはいかなる〈希望〉を持てばよいのか、よくよく議論される一年であって欲しいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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