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2016
01.03

平和への第一歩 ─見捨てられない者へ─

201211250012.jpg

 1月1日、午前10時から始めた今年最初の護摩法が終わり、「~我らと衆生(シュジョウ)と皆共に仏道を成(ジョウ)ぜん」と願文を唱え終わった時、お正月の間だけご開帳している宝珠の形をしたご本尊様がぐっと迫って来た。
 思わず口から出たのが、5つの誓いである。

「いまだ苦しみを離れざる者には、願わくは苦しみを離れしめ、
 いまだ楽しみを得ざる者には、願わくは楽しみを得せしめ、
 いまだ菩提心(ボダイシン…悟りを求める心)を起こさざる者には、願わくは菩提心を起こさしめ、
 いまだ悪を断じ善を修せざる者には、願わくは悪を断じ善を修せしめ、
 いまだ成仏せざる者には、願わくは成仏せしめん」


 この文章は、大阪の法楽寺で出家した江戸時代の慈雲尊者(ジウンソンジャ)が記した十善戒に関する書物から抜粋したものである。
 密教だけでなく、顕教(ケンギョウ…密教以外の仏教)も神道も広く学んだ尊者は、一つの結論に達した。

「師曰(ノタマワ)く、人の人たる道は、この十善にあり。
 世間戒(セケンカイ)も出世間戒(シュッセケンカイ)も菩薩戒(ボサツカイ)も、すべての戒はこの十善を根本とす。
 十善と説けどもただ一仏性(ブッショウ)。
 一法性(ホッショウ)なり。
 この十善戒は、甚深(ジンシン)なること広大なり。
 瓔珞経(ヨウラクキョウ)に『理に順じて心を起こすを善といい、背くを悪と名づく』と説く。
 仏性に順じて心を起こすを善といい、これに背くを悪という。
 本性に身口意(シンクイ)相応すれば十善おのずから全(マッタ)きなり」


(お釈迦様は、人間が人間として生きるべき道は、十善戒にあると説かれた。
 世間で暮らす際の戒めとしても、出家して暮らす際の戒めとしても、菩薩にならんとする者の戒めとしても、すべての身を律する道筋はこの十善が根本である。
 十善と説いても、それは一つの仏性と言うべきである。
 それは、一つの自ずからなる真実のありようである。
 この十善戒は、途方もなく深い世界である。
 瓔珞経には「ことわりに従って心を起こすのが善であり、背くのが悪である」と説く。
 おのずから具わっているみ仏としての本性に従って心がはたらけば善であり、本性に背けば悪である。
 この本性に身体と言葉と心のはたらきが一致すれば、十善は自然と成就される)

「私意(シイ)をもって本性を増減するがいわゆる悪。
 仏性は善悪ともに妨げぬものなれども、善は常に仏性に順ず。
 悪は常に仏性に背く。
 法として是(カク)の如し。
 ただ迷う者が迷う。
 知らぬ者が知らぬばかりなり」


(自分勝手な考えでみ仏としての本性を発揮したりしなかったりするのが悪である。
 本性は不動であり、人は自分自身の因縁によって善も悪も為すが、善はいつも、本性に従って生きるところにある。
 悪は常に、本性に従わぬところに生ずる。
 真理としてこのとおりである。
 誰しもがみ仏の本性を具えているのに、それに気づかず迷う者が自分で迷う。
 こうした真理と本性を知らぬ者が知らぬだけである)

 思えば、当山が念願とする「世界平和」も「不戦日本」も達成するのは人間であり、人間が内面に平和を築けなければ、願いは永遠に達成されない。
 内面の平和は、身体と言葉と心のはたらきが自ずから十善戒に添った人間になれば達成される。
 特に、三毒(サンドク)と言われる貪り、怒り、自己中心的で愚かな考えを脱しなければ、内面の平和はあり得ない。
 しかし、足を知り、カッカせず、ものの道理を学んだだけでは、社会が平和を構築するための積極的役割は果たせない。
 自分が〈仙人〉や〈アラカン〉になっただけではならない。
 菩薩(ボサツ)にならねばならない。
 菩薩こそが、冒頭の〈願う存在〉である。
 慈悲心に発する願いを持っていれば自ずから、「苦しみを離れざる者」の「苦しみを離れしめ」ずにはいられない。
 自ずから「楽しみを得ざる者」に「楽しみを得せしめ」ずにはいられない。
 こうしてお互いが〈他者を見捨てられない存在〉になってようやく、社会の平和が訪れるのではなかろうか?


 貧困による若者の自殺者はイジメによる自殺者の約5倍、子供の7人に1人が相対的貧困、食事すら満足にできない子供たちが激増している。
 首都大学東京の阿部彩教授は指摘する。
大人になっていく途中の段階で健康の格差が生まれていることになれば、貧困の連鎖をつなぐもうひとつのメカニズムになりかねない。
 地域で(子ども食堂のような)あたたかい場所があるといったことが、少しずつ少しずつ(貧困の)連鎖の鎖を断ち切っていく」
 日々、食べて生きて行くという段階ですでに、恐ろしい格差が広がりつつある。
 あらゆる社会的〈タガ〉を外して自由競争を放任し、押し進めた結果が社会の無慈悲さを濃くしているのではないか?

 テレビで美食や楽しい旅や快適な住まいや最新ファッションの場面が流れるたびに思う。
〝これはいったい、誰のための番組なのか?〟
 大企業がはてしなく儲け、経営にあずかるごく一部の人びとが富を集める一方で、多くのはたらく人びとは、結婚や子育てや住居の確保といった人生設計が許されなくなっている。
 そうした中で、芸能人がうまそうに食べる1盃1000円のラーメンなど、ごく〈限られた人びと〉にしか関係のないキラキラしい場面は、何のために放映されているのだろう?
 賃金の上昇率が2・9から2・1パーセント、全要素生産性(TFP)の1・8から1・0パーセントなど、バブル経済時の数字などを用いて華々しく打ち上げられた「100年安心年金」などはとっくに破綻し、働き盛りの人びとも年配者も、いつ、生活の基盤が崩れ、路頭に迷うかわからない。

 もはや、無制限な弱肉強食の放置をやめ、所得の配分を変える根本的な社会変革がなければ、弱者を見捨てている日本は〈無慈悲な国〉から脱することができないのではなかろうか?
 戦争をせず真に世界の平和へ貢献する国になど、なり得ないのではなかろうか?

 今年も、平成26年9月に始めた「不戦日本」の祈りを続けたい。
 皆さんと共に平和を祈る「不戦堂」の建立に向けていっそうの努力を重ねたい。
 そのための出発点が〈他者を見捨てられない存在〉になることであるという真実をあらためて肝に銘じたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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