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2016
01.05

自分の苦楽と他人の苦楽 ─この世の〈見え方〉と〈ありよう〉について─

2016010200012.jpg
〈おかげさまにてお正月の護摩祈祷は5回、無事、終えました。守本尊様の5種類のおはたらきもお話ししました〉

 私たちは、自分しみについては、よくわかります。
 心の葛藤や沈み込みや怨みや怒り、また身体の不具合や痛み、あるいは仕事や人間関係の不調や失敗など、何でも具体的に迫ってきます。
 しかし、他人しみについては、よくわかりません。
 耳で言葉を聴いたり、目で様子を見たりすればある程度は想像できまずが、身体の不具合や痛みなどは想像すらなかなかできません。

 では、他人を見捨てられない心はどこから起こってくるか?
 それには、ものの道理を学び、心のはたらきを道理に合わせる訓練が必要です。

 まず、自分他人も〈同じ人間〉であるという〈ありよう〉の真実をしっかりつかむことです。
 学び、考え、腑に落ちなければ、〈ありよう〉はわかりません。
 なぜなら、〈見え方〉は、〈ありよう〉と違うからです。
 自己中心というフィルターがかかったままの心では、他人自分は違った〈見え方〉がするだけであり、常に自分を主としているので〈同じ人間〉とは到底、思えません。

 私たちが普段、暮らしている生活の各場面においては、いつも〈見え方〉が基準になっています。
 さまざまな約束ごとや処世術は皆、そこから発生しています。
 たとえば商取引は、今日の自分がそのまま10日後も同じ自分であるというこの〈見え方〉に基づいており、約束ごとをうまくこなす人は大金持ちになったりしますが、必ずしも人間としてまっとうであるかどうかはわかりません。
 他人に後ろ指を指されたことのない人が、他人を思いやる人であるとは限りません。
 すべては無常であり、今日の自分が10日後にはこの世にいないかも知れないと達観し、〈ありよう〉をつかんだ人は、商売が下手でも、よき隣人として信頼されるかも知れません。

 では、どうすれば、〈ありよう〉をつかめるか?
 たとえば、自分も他人も、同じくを厭い、を求めているという真実をつかむために、まず、親しい誰かを想像してみましょう。
 家族でも、友人でも、先輩や後輩でも結構です。
 自分がしい時に手を差し伸べてくれたり、友人の仕事がうまくいった時に酒を飲んでお祝いしたりといった光景を思い浮かべれば、〈同じ人間〉という実感があるはずです。
 そして、あの人、この人とたくさん思い浮かべているうちに、そのことは確信に変わります。
 確かに、まぎれもなく〈同じ人間〉同士なのです。
 次に、あまり縁のない町内の人や、取引先の人なども〈同じ人間〉であると想像してみましょう。
 最初はなかなかできないかも知れませんが、具体的に、あのおじさんが転んで立てず踞(ウズクマ)っている姿、あるいは、あの奥さんが子供の入試合格で喜んでいる姿などなど。
 普段、あまり関心がない人びとも、を厭い、を喜ぶことは自分とまったく変わりないことがだんだんと腑に落ちてくることでしょう。
 そして最後には、憎い人や怨みのある人やライバルなどのも想像してみましょう。
 いつもは「あんな奴」と思っていた相手も又、苦しい時に苦しむのは自分とまったく変わりなく、たとえば、その人が苦しんでいる腹痛を自分のことと想像してみれば、「ざまあみろ」というわけにはゆきません。
 いつもは「人でなし」と恨んでいる相手も又、病気が治って嬉しいのは自分とかわりなく、たとえば、自分が風邪をひいて苦しんでいた頭痛から解放されたことを想像してみれば、「チェッ」と舌打ちするわけにゆかないではありませんか。

 こうして「人間は苦を厭いを求める存在として皆、ひとしい」という真実を学び、考え、それが腑に落ちればようやく、人間の根本的な〈ありよう〉がわかってきます。
 この〈ありよう〉がわかった時点では、わかるまでの過程において、他人と自分の苦とを想像上とはいえ数限りなく〈同じ〉と経験しており、自然に他人を見捨てられない心ができているはずです。
 これが「ものの道理を学び、心のはたらきを道理に合わせる訓練」です。
 こうした真実は、仏教の歴史が生んだ智慧に導かれてつかめるものですが、学び、実践する人を選んだり限定したりするわけではありません。
 宗教宗派にかかわらず、そうか、と納得できれば誰でもが〈見え方〉から〈ありよう〉へと自分を深める扉を開けるのです。

 そして、〈ありよう〉をつかみ、〈同じ人間〉と観えるようになった人は、他人へ手を差し伸べて喜ばれ、喜ぶだけでなく、自分が自分自身の苦しみに負けず、それを解く力も必ず高まっています。
 自分の苦しみは自分だけのものではなく、誰しもが人間としての苦しみひとしく耐えつつ生きていると思えば、自分一人の苦しみなど小さなものではありませんか。
 現に生きている人びとと共に生きようという勇気が湧いてくるではありませんか。
 その先には野辺のタンポポやスズメなどもまた、苦を生きていることが観えてくるかも知れません。
 こうして仏法は普遍的真理真実を説き、誰をも排除せずに導くものなので仏宝(ブッポウ)として尊ばれるのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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