--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
01.16

イラク戦争と靖国神社への祈り(その10) ─悪行から善行へ─

2016011600012.jpg

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

懺悔(2月18日)

 帰山して行った『法句経(ホックキョウ)講座』で有名な一句をとりあげた。

「人前(サキ)に悪を為し、後に止(ヤ)めて犯さざれば、是(コ)れ世間を炤(テ)らす、月の雲消ゆるが如し」


 僧侶になりたての頃、救われた一句である。
 人は誰しも過ちを犯す。
 教えで言うところの過ちとは殺人や窃盗など目に見えるものだけではなく、誰かに〝ウヌッ〟と怨みを抱くことや、給料をもらいながら怠けることや、道理に反する考えを持つことや、二枚舌を使って他人を仲違いさせることなども含むのだから、〈誰しも〉なのである。
 釈尊は、人はそういうものであるということをふまえ、憐れみをもって諭した。

「いけないと気づいたならば、悪行はただちに止めて二度と過ちをくり返さぬようにせよ。
 そうして努力を続ければ、やがては過ちを犯さぬ人となり、迷妄の暗闇で呻吟する人々にとっての明灯ともなれるのだから。
 そもそも人の心には智慧の明かりがあり、たとえ一時的に迷いという雲で隠されていたとしても消えることなく、雲さえ晴れれば皓々と自他を照らすのである」

 
 問題は、「止めて犯さざれば」である。
 何が悪行の歯止めとなるのか。
 それは、今はやりの反省などという生ぬるいものではなく、心が苦汁で満たされるような、身体が震えるような懺悔(サンゲ)である。
 反省は自分だけの範囲であって、必ず自分に甘いところで落着(ラクチャク)にしたくなる。
 懺悔は意識するとしないとに関わらず仏神など、自分を超えたものの存在をふまえてこそ成立し、悪行の隅々までが自分の心で明瞭になり、自分を隠し甘えさせる逃げ場はない。
 犯した罪に怖れおののき慚愧(ザンキ)の念に苛(サイナ)まれ、心身に受ける苦が大きければ大きいほど強い歯止めとなる。
 懺悔に後押しされた善行が世を照らす光も、確かで強いものとなるだろう。
 そのためにこそ、毎月行う例祭の冒頭で、至心に『懺悔之文(サンゲノモン)』を唱える。

「我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
 皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
 従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
 一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)」


 懺悔する対象は、〈昨日の失敗〉などにとどまらず、無限の過去から行って来たあらゆる罪科である。
 いのちの限り、自分の全部を投げ出して懺悔するところから、自他の雲を晴らす力は生まれる。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。