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2016
01.16

漢文『法句経』を読んでみる(その2)

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〈『悪魔の飽食』を書いた筆鋒は相変わらず鋭い〉

 寺院や寺子屋ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経(ホックキョウ)』を読んでみたい。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いている。
 当山では学びの柱として欠かせない。
 新たになった読み下し文を現代語にしてみたい。

 前回の続き【無常品(ムジョウホン)第一】 である。

〔一一〕咄嗟(トッサ)に老(ロウ)至れば、色(シキ)変じて耄(モウ)と作(な)る。少(ワカ)き時は意(ココロ)の如(ゴト)くなるも、老ゆれば蹈藉(トウセキ)せらる。

 ああ、あっという間に老いがやってくれば、美しい姿形も老醜に変わる。若い頃は気ままに生きられても、老いれば心も身体も思いのままにならず、踏みにじられる。

〔一二〕寿(イノチ)百歳なりと雖(イエド)も、亦(マ)た死すれば過ぎ去らん。老いたるが為(タメ)に厭(イト)われ、病(ヤマイ)条(ノ)びて際(キワ)に至る。

 たとえ百才まで生きたとしても、死がやってくれば必ずこの世を去る。老いれば厭われ、病苦の果てに死へ赴く。

〔一三〕是(コ)の日已(スデ)に過(ス)ぐれば、命則(スナワ)ち随いて減ず。少水(ショウスイ)の魚(ウソ)の如(ゴト)し。斯(コ)れ何の楽しみか有(ア)らん。

 日々、過ぎ去る時に従って、いのちも減り続ける。わずかな水に棲む魚が干上がってしまう時を待つようなものだ。本質的な楽しみはどこにあろうか。

〔一四〕老(オ)ゆれば則(スナワ)ち色(シキ)衰え、病(ヤマイ)に自(オノ)ずから壊され、形敗(ヤブ)れ腐朽(フキュウ)す。命終わること自然(ジネン)なり。

 老いるに従って容貌は衰え、病魔によって身体は壊され、腐り朽ちて行く。やがていのちに終わりが来ることは避けられない宿命である。

〔一五〕是(コ)の身は何の用(ヨウ)ぞ、恒(ツネ)に漏れ臭き処(トコロ)なり、病(ヤマイ)の為(タメ)に困しめられ、老死(ロウシ)の患(ウレ)い有り。

 この身体はいったい何の用を足しているのか、常に不浄で臭いものを漏れ出させ、病魔に苦しめられ、老いの患い、死への患いを伴っているではないか。

〔一六〕欲を嗜(タシナ)み自(ミズカ)ら恣(ホシイママ)なれば、非法(ヒホウ)是(コ)れ増す。変を見聞(ケンモン)せず、壽命は無常なるに。

 愛欲を貪り放逸に暮らせば、誤りを増すのみだ。死という避けられない災難から目を背け知らん顔をしているが、寿命は無常である。

〔一七〕子(コ)有(ア)るも恃(タノ)むところに非ず、亦(マ)た父も兄も[恃(タノ)むところに]非ず。死の為(タメ)に迫(セマ)らるれば、親(シン)も怙(タノ)む可(ベ)きこと無し。

 例え子供がいても死魔を追い払う頼りにはならず、父も兄も同様である。死が迫った時には親であっても頼りにならない。

〔一八〕昼夜に慢惰(マンダ)にして、老(オ)ゆるも婬を止(ヤ)めず、財有(ア)るも施さず、仏言(ブツゴン)を受けず、此(コ)の四弊(シヘイ)有(ア)らば、自(ミズカ)ら侵欺(シンギ)を為(ナ)す。

 いつも死を侮り死への準備を怠り、老いても色欲に溺れ、財物を施さず、み仏の言葉に耳を傾けず、この四つの習い性となった悪行は、自らの生を貶め欺くのみである。

〔一九〕空(クウ)にも非ず、海の中にも非ず、山石(サンシャク)の間に入(イ)るにも非ず、地(ジ)の方所(ホウショ)に之(コレ)を脱(ノガ)れんも、死を受けざるところ有ること無し。

 空であれ、海中であれ、山々の石の陰であれ、どこに逃れようと、死に襲われぬ場所はない。

〔二〇〕是(コ)れ務めなり。是(コ)れ吾が作(ナ)すことなり。当(マサ)に作(ナ)して是(コ)れを致(イタ)さしむべし。人此(コ)の為(タメ)に躁擾(ソウジョウ))して、老死(ロウシ)の憂いを履践(リセン)す。

 これが自分の務めである、これが自分の為すべきことである、こうしてこうしよう。人はこのようにあくせくしつつ、やがて必ず老いの憂いと死の憂いに破壊される。

 私たちは、人間として本当になすべきことが何であるかわからぬままに毎日を送りかねない。
 そうこうしているうちに、30年、50年など、あっという間に過ぎる。
 老苦も病苦も、そして死に神さえすぐにやってくる。
 大切なのは、若い日に抱いた疑問、〝自分は何者なのか?〟〝自分のこの世の役割は何か?〟〝人生に目的はあるのか?〟などの数々を捨てないことではなかろうか。
 問いつつ生きる時は、生きつつ何らかの回答を見出しているかも知れない。

 作家森村誠一氏は83才になってなお、意気軒昂である。

「作家にゴールはない。
 余生ではなく誉れある『誉生(ヨセイ)』にしたい。
 可能性を追う、未知数の狩人でありたい」


 老いてから得られる自由には2種類あると言う。

「『何もしなくていい自由』と『何をしてもいい自由』です」


 かつては、仕事や子育てなどでの〈一段落〉というものがあり、それが〈余生〉の感覚に結びついていた。
 今は違う。
〝もう、何もなくていい〟と思って人生の後半を生きる人と〝これからやれる〟と思う人とでは天地の違いが出ることだろう。
 氏の助言である。

「どのようなことでも、自分の世界を持って、能動的に広げていってほしい。
 何かを生産し、表現することで、生きているという実感が持てるものです」


 そう言えば、「みやぎシルバーネットさん」のシルバー川柳はそうした〈実感〉に満ちている。
 1月の課題は「ババァ(婆)」だった。

「顔のシワ バームクーヘン 美味しそう」 (鈴木洋子 79才)

「婆ちゃんが 大志を抱き バーゲンへ」 (佐藤和則 84才)

「新時代 火星に作る ババァホーム」 (伊勢武子 82才)

「幸・福(シアワセ)は 婆と爺とで半分コ」 (八巻勇夫 77才)






 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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