--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
01.30

イラク戦争と靖国神社への祈り(その16) ─死と仏壇─

20160129001000011.jpg

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

 ご葬儀となり、宮城に留まる。

死と仏壇(2月24日)

 ご不幸があった場合、お仏壇を閉じるか、それとも開けたままにしておくか、宗派の作法や地方地方の慣習としてはさまざまある。
 基本的には旦那寺や慣習に合わせておけば大過ないが、場合によっては、親戚縁者の意見が分かれたりするなど議論百出になり、喪主様が困り果ててしまう。
 当山にはこれまで幾度もこの問題についての人生相談があり、喪主様から「皆を説得してください」というご依頼もあった。
 いつも、こう申しあげてきた。
「私が決めて、皆さんに従っていただくというよりも、まず、喪主様に、ものの道理として考えていただきたいと思います。
 もちろん、その材料はご提供しましょう」
 そして、以下のような話などをする。

仏壇はお堂あるいは寺院です。
 仏壇には必ずご本尊様が祀られ、もしご先祖様など先に逝かれた方があれば、そのお位牌も安置されていますね。
 当然、読まれる経典や、お線香などのご供物もあることでしょう。
 さて、ご本尊様という仏宝(ブッポウ)があり、教えという法宝(ホウボウ)があるお堂の前に座り、合掌したりお経を読んだりする人は僧宝(ソウボウ)であると言えます。
 三つの宝ものがあるならば、そこは明らかに寺院であり、聖地です。
 必ずしも立派な建物があるから寺院なのではなく、もし、酒色に狂ったり、修行をおろそかにしたり、豪勢な生活を楽しんだりする破戒僧侶がいれば、伽藍の価値や、長い歴史や、広い名声にかかわらず、真の寺院とは言えません。
 このように、仏壇寺院である以上、家族を送る大切な時に、そこにおられ日々拝んでいるご本尊様に手を合わせてはいけない根本的な理由がありましょうか?
 また、大切な家族の死に際し、ずっとご守護いただいてきたご本尊様におすがりしないでいられないのは、極めて自然な真情です。

 そもそも、私たちのいのちと心と共におわすみ仏のご守護について、私たちが、『今は要りません』などと言えるはずがありましょうか。
 当山でお唱えする『守本尊利益経』には『日は365日昼夜を見守り時は一刻の休みなく八方天地十方世界を守る』と説かれています。
 み仏を想い、ご本尊様に合掌する心を断絶する根本的な理由はないのです。

 判断するに当たって大切なのは、枝と幹を見誤らないことです。
 言うまでもなく〈根本〉こそが幹です。
 常に根本からの発想や判断だけで世の中を円滑に渡って行けるわけではありませんが、自分がものごとの決定にあずかれる立場に立ったならば、そこのところを間違えないようにしたいものですね」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。