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2016
02.07

イラク戦争と靖国神社への祈り(その20) ─生き仏の献身─

201602070003.jpg

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

 寺へ戻っての法務が続いている。

○個から普遍へ(2月28日)

 早朝から斎場へ行き、百カ日の法要まで終えて帰山したら、もう夕方になっていた。
 喪主は、ずっと病院へ泊まり込み、不治の病に倒れたご主人を献身的に看病した奥さんだった。
 供養の膳を前にして、親戚の方々は異口同音に奥さんを称讃し慰めておられたが、弟さんはちょっと違う感想を述べられた。
「最後は人間としてやってたんですよね」
 看病は当然〈妻としての務め〉に始まったのだろうが、文字通り24時間つきっきりの5カ月が、それを夫婦としての愛憎を超えた行為にまで高めていたのだろう。
 人間の霊性は、宇宙にただ一人しかいない〈自分〉そのものを懸けた誠意ある地道な行為によって磨かれる。
 
 まず〈自分〉は人間であり、同時に、男か女であり、日本人か異国の人かどちらかであり、あるいは子であり、あるいは親であり、あるいは妻であり、あるいは夫であり、あるいは商売人であり、あるいは勤め人であり、自分を限定している諸々の面を持っている。
 時に応じ事に応じ、それぞれの面にふさわしい役割を果たしてこそ、心が安定し、充足感が得られ、社会からも認められる。
 普遍的な人間性の次元は、その努力の先に結果として開ける世界であり、ただ漠然と〝人間らしく〟考え、自分を限定している諸条件を無理に無視しようとしても、観念の遊びに陥るおそれがある。

 もちろん、いわゆる「らしさ」へのこだわりが大事であるというわけではない。
 よく知られているように、平安時代あたりの物語で男性が殴り合いをする場面などはなく、すぐに決闘をしたがる西洋の男性たちとはかなり異なった生き方をしていたようだ。
 勇ましいイメージのある「大和魂」もまた、本来は、日本人らしい繊細な情緒の理解や感得の能力を表す言葉であり、ねじり鉢巻をして拳を振り上げる粗野・粗暴からは最も遠いありようを指す。
 この「らしさ」が強調される社会は危うい。
 なぜなら、「らしさ」は人間の区別を伴い、人間が明確に区別されればされるほど管理しやすくなり、統御されやくすなるからである。
 本来、人間はきわめてファジーな存在であり、お互いにファジーであればこそ、多様な人々との相互理解も共鳴や共生も可能であるということを忘れないようにしたい。

 とは言え、まずは、自分のありよう、自分が置かれた立場なりに素直な生き方をしたい。
 時には、さまざまな社会的・文化的な「らしさ」と、それに括りきれない「自分らしさ」との緊張関係をも素直に受け入れながら、真摯に生きたい。
 思考停止して枠にはまってしまうのも偏り、気ままな自己主張も偏りではないか。
 
 さて、冒頭の喪主様は、こうした意味でとらわれのないまごころによって看病の5ヶ月を生きられたのだろう。
 良心、仏心、霊性といったもののはたらきが明確に主役となった時、周囲の人の目に「人間らしく」生きていると見えたのではなかろうか。
 一人の〈個〉を普遍の広大な世界へ解放するのはまごころだろうと思う。
 あらためて思い出してみると、喪主様は生き仏だった。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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