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2016
02.23

【現代の偉人伝】第221話 ─東北の豊かさを守ろうと呼びかける山内明美氏─

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 南三陸町出身の大正大学准教授山内明美氏は、東日本大震災のあった平成23年7月、共著「『東北』再生」を発行している。
 赤坂憲雄、小熊英二という「二人の師」との鼎談があったのは震災から51日目だった。
 そして、早くも102日目には、民俗学者赤坂憲雄氏がこの本の「まえがき」を書いている。
 以下、切れ切れではあるが、東北を舞台に「日本の国内植民地」という問題を考えてきた山内明美氏の言葉を追ってみたい。

「今回の原発事故で、放射能汚染という大変なリスクを背負いながら東京へ電力を送っていた地方の姿が浮き彫りになりました。
 福島には、かつて常磐炭鉱がありました。
 茨城県日立市、そして福島県いわきから富岡の『浜通り』にかけては、かつて炭鉱労働者の町でもありました。
 常磐炭鉱は1970年代半ばに閉山しましたが、その炭鉱労働を引き継ぐかたちで、原発の立地町である『原子力ムラ』ができました。
 原発事故のようなリスクが、歴史的な連続性のなかで、地方の村々のなかに常に担保されていまに至っていることの意味をよく考えなくては、と思います。」


 同著の中で、赤坂憲雄氏は、原発の事故によって、見せかけの豊かさの陰に隠されていた構造が明らかになったと指摘した。
 また、「迷惑施設を公共事業とひきかえにひき受けている、沖縄と一緒だった」と確認されたという。
 かねて原発の危険性と文明の問題を訴えてきた議論へあまり関心を向けなかった人びとも、今回は目が覚めたはずだ。

「地震も津波も冷害もある。
 陸で生きるのも浜で生きるのも過酷な場所です。
 過去の歴史のなかでどれほど津波が起きてきたのか、私たちはあらためて知りましたが、それでも、漁師が漁をやめたことはありませんでした。
 過酷な自然に対峙しながら、ここまで続いてきたのです。
 いま、私たちは、この深刻な汚染を発端として、将来へ向けてどんな『生のあり方』が可能なのか、未来への責任とともに考える時期にあるのだと思います。」


 海の恵みを享受する人びとは、海へ感謝すると同時に、津波への怖れも抱いてきた。
 生の営みがくり返される中で、人間の都合や思惑を遥かに超えた自然への畏敬の念が育っていた。
 それは、浜の空気と共にある。
 もしも浜が再生されなければ、ここでの「生」も再生されないのではないか?

「福島の炭鉱の町にハワイをつくるなんて笑い事だと、誰もが思うでしょう。
 私はあの映画を見て、涙を流しました。
 福島にハワイをつくるという破天荒な試みを笑うことなどできなかったのです。
 常磐にハワイをつくることは、炭鉱の町の後の生き残りをかけて必死の賭けでした。」


 小生も、初めて子供たちと共に訪れた常磐ハワイアンセンターで、無性に切なさを覚えた記憶がある。
 たまたま、北原ミレイがショーをやっており、幼い娘が『石狩挽歌』の一節を覚えたこともまた、切なかった。
 震災後、呼びものだったフラガールが復興のシンボルとして全国を回り、映画「フラガール」もできた。
 それでもなお、とうほく蘭展などで、たまたまフラダンスを目にすると、ダンサーに〈生身の人間〉では括れないものを感じてしまったりする。

「今回、福島第一原発が爆発して考えたことは、これは東北だけの問題ではないということです。
 沖縄や水俣、津々浦々の原子力ムラについても同様のことが言えるでしょう。
 そしてそれは、在日についてもそうです。
 戦後日本が抱えてきた問題の本質をむき出しにしたのが、今回の震災だと思います。


 山内明美氏は三陸沿岸の町で独り暮らしをしている在日韓国人宋神道(ソン・シンド)氏を知っていた。
 日本のマスコミでは報道されていないが、宋神道氏は日本政府を相手に慰安婦裁判を起こした日本在住のたった一人の原告である。
 政府相手の謝罪と補償は認められなかったが、慰安婦であった事実は認められた。
 震災後、山内明美氏は、自衛隊や韓国救助隊にも支援を要請するなど、宋神道氏の安否確認が大変だったという。
 在日のコミュニティーの人たちには、関東大震災での虐殺事件が思い出されていた。
 被災したのは日本人のコミュニティー内で暮らす日本人だけではない。
 それぞれの事情を抱えつつ日本で被災者となった外人もいることを忘れないようにしたい。

「この大震災は何かの前触れかも知れません。
 これから世界が転換していくにあたっての、ほんのきっかけにすぎないのかもしれません。
 原発事故も震災も、時間がたつにつれて忘れ去られることを、なによりも恐れています。」


 未曾有の大津波と原発事故は、文明のありようにかかわらないはずがない。
 それを〈なかったこと〉にできはしない。
 個人間のちょっとしたできごとですら、その後の人間関係を決定的に変えたりするではないか。
 ここで立ち止まらなければ危うい。

「『生きていてよかった』という言葉が口から出たあとの、後ろめたさがいつまでもつきまとっていた。
 この町で生き残ったひとは、例外なく、大切な誰かを失った。」


 私たちは一人残らず〈生き残り〉である。
 もしもそれを忘れるならば、私たち全てが戦争を経て生き残ったいのちを嗣いでいることなど、たやすく忘れ去れることだろう。

「故郷へ帰っている間、不思議な話を聞いた。
 あの大津波の二時間前、三陸の海に潜っていたダイバーがいた。
 養殖棚の修理のために海底に潜って仕事をしていたという。
 海の中で気がつくと、みるみるうちに海水が赤く染まっていった、という。
 そして、いつもはたくさん泳いでいる魚が、一匹もいなくなった。
『これは、なにか大変なことが起きるに違いない』
 海の異変に気づいたダイバーは、仕事を中断して、陸にあがった。
 大津波が三陸沿岸の町を襲ったのは、その直後だった。」


 この話は科学的説明が難しくはなかろう。
 しかし、白いシャツが赤く染まった人びとの体験した恐怖と不安は消えない。
 体験者の「痛み」こそが、言い伝える内容に想像力を与える。
 一人の人間と海との目が眩むような対比……。

陸で暮らそうが浜で暮らそうが、ここは、どこも例外なく、最後の場所(ケガヅ)なのである。
 ここは生き死にの物語が無数に埋もれた土地である。


 三陸の人びとは、海に出ては漁業、陸では稲作を行ってきた。
 海を津波が襲うように、陸は凶作と飢饉に襲われる。
 たとえば平成5年に発生した「平成の大凶作」では、平年の作況指数100に対し、20ほどしかなかった。
 山内明美氏の父親は空っぽの稲たちに火を放ち、田んぼは一瞬にして燃え尽きたという。
 村の人々は「時代が違えば、餓死で村が全滅、おまえは娘身売りだ」と言った。

「戦後社会のなかで、かつては『封建的』だという言葉で、村落共同体は、揶揄される対象にすらなってきた。
 原発のたくさんある場所は、コメもたくさん穫れる穀倉地帯である。
 田んぼの風景と原発が、なぜ癒着せずにいられなかったのか、私にはすこし分かる気がする。
 家族が生き残るための出稼ぎと村を存続させるための生業。
 近代が切り裂いていった村を、つかのま維持させるさめに、原発は、たぶん、とても魅力的だった。

東北は、都市へ供給するための若い兵士も、若い労働力も電力も、そして自動車の部品も食糧も……あるだけものをすべて出し尽くしたと思う。
 このうえ、土壌も海も汚染されてしまったら、いったい、なにが残るというのだろう。


 東北の叫びここにあり、と言いたい。

自ら原子爆弾の痛みを背負いながら、その温床ともいえる『核』を日本中に設置し、それでも飽き足らず、世界中に売り歩いている日本。
 これは、世界を滅亡へ導く、とても深刻な病だと思う。」


 平成27年4月、作家の村上春樹氏は 「これから『原子力発電所』ではなく、『核発電所』と呼びませんか?」と呼びかけた。
 深刻な事態を表現する適切な言葉だと思う。

「この『復興』は、戦後日本が立ち向かってきた数々の復興の中で、もっとも過酷なものになるだろう。」

「この『復興』の空気の中で、被災地とは別の場所で、すでに激烈な利権をめぐる戦争がはじまっているいることも、伝えなくてはならない。」


 5年前に山内明美氏が指摘した状況は明らかになりつつある。
 平成27年3月、東日本大震災に伴う高速道路の復旧工事をめぐる談合事件が発覚した。
 大手がズラリ勢揃いである。
 今年の2月、米軍普天間飛行場の工事をめぐり、「防衛省が発注後の1年間に契約を4回変更し、工事費が当初の59億円から147億円と2・5倍に膨らんでいた」ことが発覚した。
 いかなる言いわけをしようとも、競争入札という制度が骨抜きにされていたことは隠しようのない事実である。
 日本では、どさくさまぎれにべらぼうなことが行われているのだ。

「個々が生きていくための、できるだけ短い時間での生活の立て直しを前提として、三陸で暮らすひとたちが将来にわたって、子や孫に残してゆける大切なものを失わないでいることに、これからははもっと注意深く、そして忍耐強くある必要があるかもしれない。」

あたらしい風景が、東北で暮らすひとたちにとって、『ほんたうに豊かなもの』になってほしい。
 けれども、その『豊か』という意味は、けっして経済成長を意味するようなものにはなりえないということを、確認しておきたい
と思う。」

「月並みな言い方だけれども、三陸の美しい自然、澄んだ空気、おいしいお魚、おコメ……どれをとっても、ここには一流のものがある。
 それだけは、世界中のどこにも負けない。
 東北には、そのままですでに、すばらしい『豊かさ』がある。
 そして東北の『復興』にとってもっとも必要なのは、先祖から(あるいは自然から)、当たり前のようにあたえられてきた『ほんたうの土』と『ほんたうの海』なのだと思う。

この空気と土と海だけは、未来への責任として、奪還しなくてはいけない。
 そして、東北の生き残りの戦略として、あるいは未来の東北を奪還する手だてがあるとすれば、それはたぶん『ほんたうの農業と漁業』のあり方を模索することだろうと思う。
 その道のりは、これまでとは比較にならないほど過酷だろうと思う。
 それでも、東北ならできると思う。
 ここは、地獄絵図のような生き死にの紡がれた歴史の中で、くり返し死の淵から再生をとげてきた場所だからだ。
 巨大な巨木が倒れたあと、無数の蘖(ヒコバエ)があらわれるように、『東北』は、きっと再生する。


 私たちは、東北が持つ「子や孫に残してゆける大切なもの」すなわち本当の豊かさを再確認したい。
 それは自分たちの手で守るしかないと思う。
 山内明美氏の烈々たる志を共有しつつ……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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