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2016
02.28

いのちをかける者の尊厳について ─老いた妻を殺して自殺した國崎誠一氏─

2016-02-28-0001.jpg
〈「必死剣 鳥刺し」の豊川悦司〉

 80才を過ぎた夫が妻を殺し、自分も死んだ事件に関し、どうしても記しておきたいことがある。

1 國崎誠一氏のこと

 妻を刺殺した夫が食事を摂らず死亡した。
 死亡したのは埼玉県在住の國崎誠一容疑者(83才)、殺されたのは妻恭子さん(77才)である。
 
 2月5日、午後11時30分、110番通報を受けた警察官が駆けつけると、彫刻用の小刀で妻の首を刺し、自分も首や手首を切り自殺を図った誠一容疑者がいた。
「認知症の妻の介護に疲れ無理心中をはかった」
 8日、殺人の疑いで逮捕された容疑者は、ほとんど取り調べに応じず、食事も摂らないため、17日、病院へ入院させられて点滴を受けていたが23日、死亡した。
 小川警察署の発表である。
「本人はほとんど何も話さなかったので、なぜ、食事をとることを拒み続けたのか理由はわからない。
 警察としても食事をとるよう説得していただけに、このような結果となり残念だ」
 警察としては、こう言うしかなかろう。
 誰が見ても、老いた身体での介護に限界が訪れ、相当の覚悟と決心をもって心中をはかり、やり遂げたことがわかる。
 夫は、刺すという形では自分を殺しきれなかったが、食べないという形で目的をまっとうした。
 
 経緯については冒頭のかいつまんだ報告だけで想像ができ、無言を通した気持もよくわかる。
 誰に対して何の言いわけもする必要はないし、できるはずもない。
 自分の死をもって、伴侶に対する責任をとり、社会へ対しても責任を果たした。
 それだけである。
 (世にも奇天烈な免罪符「説明責任」にすがり、言いわけをするのみで、あらゆる「責任」から逃れようとする卑劣な政治家の姿とあまりに対照的ではないか。
 責任ある立場にある者が自分の言動について説明を尽くすなどは当然の責務であり、それは、どう責任をとるのかという肝腎な問題の前段階に過ぎない。
 説明によって責任を果たしたと居直る政治の世界にしか見られない傲慢な欺瞞を早くやめないと、国民の政治不信は募るばかりだろう。

 特に、まだ、しがらみに縛られていない若い人たちの目はごまかしようがない。
 選挙の投票率を上げるには派手派手しく鐘や太鼓を叩く必要なはなかろう。
 政治家が自分の言動に責任を持ち、無様な実態が露呈した際には潔く、まっとうに責任をとる、これしかないと思う)

2 放火しようとしたAさんのこと

 二人の漢(オトコ)を思い出した。
 Aさんは、親の代から所有している隣家を知人へ貸していた。
 やがて商売が繁盛し、倉庫のスペースが足りなくなったので、条理を尽くして知人へ立ち退きを頼んだ。
 仲良く近所づきあいをしてきた間柄なので、Aさんも辛かったことだろう。
 ところが知人は何年経っても、ノラリクラリと言いわけをして居座ったまま。
 Aさんは仕事の関係上、離れた場所に倉庫を設けることができない。
 そうかと言って、来客を適当に断りながらやれる商売でもない。
 社会貢献の意識を強く持ち、まじめ一本でやっている。
 追いつめられ、業を煮やしたAさんはとうとう、ある日、灯油の入った缶を手にして隣家へ乗り込んだ。
 燃やそうとしたのである。
 肝を潰した隣人は早々に、行方も告げず、立ち退いた。
 大らかな時代ゆえ、Aさんはお咎めなしで済んだ。
 町内会や業界や防犯活動など、各方面で力を尽くしていたことによって情状酌量されたのかも知れない。
 小生はこの一件で、人生には〈どうにもならない状況〉があることを学んだ。

3 大西瀧治郎中将と「必死剣 鳥刺し」のこと

 もう一人は、神風特攻隊を発案したとされている海軍軍人大西瀧治郎である。
 幾多の青年を見送り、敗戦の色濃い太平洋戦争の末期になっても徹底抗戦を最後まで主張した。
 こう言いつつ。
「棺を覆うて定まらず百年の後知己を得ないかもしれない」
「おいも行く、わかとんばら(若殿輩)のあとを追いて」(西郷隆盛の言葉)
 自分は死後、成仏できないだろう、ただし、若者たちだけを死なせず、必ず自分も逝く。
 明澄で凄まじい覚悟だ。
 実際、敗戦直後に割腹自殺を決行した。
 かけつけた軍医へ「生きるようにはしてくれるな」と断り、遺書や遺言で意思を伝えつつ死んだ。
 物量において日本とアメリカに決定的な差があることを熟知していながらなお、抗戦を続けようとする作戦に、新聞記者だった戸川幸夫はなぜ?と訊ねている。
「いくら物量のあるアメリカでも日本国民を根絶してしまうことはできない。
 勝敗は最後にある。
 九十九回敗れても、最後に一勝すれば、それが勝ちだ。
 攻めあぐめばアメリカもここらで日本と和平しようと考えてくる。
 戦争はドロンゲームとなる。
 これに持ちこめばとりも直さず日本の勝ち、勝利とはいえないまでも負けにはならない。
 国民全部が特攻精神を発揮すれば、たとえ負けたとしても、日本は亡びない、そういうことだよ」

 小生も国防の要諦はここにあると考えている。
 実際に全滅するまで戦うべきであるというのではなく、侵略者に対して〈決して屈しない〉という覚悟こそが国防の根幹であり、それは軍人だけでなく、むしろ一般国民のそうした気概こそ、侵略を意図する者への確かな抑止力となるのではなかろうか?
 気概の具現化は、武力によるものも、よらないものもある。
 具現化に際してこそあらゆる分野の叡智を結集し、国民の前で正々堂々の議論を重ねねばならない。
 かつて、お釈迦様がおられた頃のインドでは、開かれた四阿(アズマヤ)において、各部族ごとに長老の指導のもと、老若男女を問わない論議が行われていたという。
 国家の命運はそうして決められるべきではなかろうか?

 藤沢周平の小説に「必死剣 鳥刺し」がある。
 ズタズタに切られ、死んだとしか思われない敗者が、勝利を確かめようと近づく敵将を一撃で仕留める秘剣である。
 だから、〈必殺〉を目的としてはいるが、自分の死をかけて行うという意味において〈必死〉と言うしかない。
 主人公兼見三左エ門は死んだが、守ろうとした義は死なず、秘剣も死なない。
 一方、斃された相手は最終的敗者になるのみである。
 同名の映画を観て、自分も密かに自分なりの必死剣を持ちたいと強く思った。
 無論、敵は自分の外にあるだけではない。

4 結論 
 
 横道にそれたが、國崎誠一氏の行動には、大西瀧治郎や兼見三左エ門に通じる深い尊厳が感じられてならない。
 どうにもならない状況に立ち至った時、最後は自分のいのちをかけて何かを行うしかない。
 最後に覚悟を決めさせるのは何か?
 よくよく考えたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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