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2016
03.08

誰かの誕生日を祝おう ─明かりを届け、追い風を贈ろう─

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〈東京の街角に〉

 誰かの誕生日には、わけもなく嬉しくなる。
 嬉しさはどこから来るか?

 自分がこの世に生まれただけでは、巡り会いはない。
 同じこの世に同じ人間として生まれてくださったからこそとなり、尚かつ、今も生きておられればこそ、共にこの世で息をし、この世を形成していられる。
 心を通じ合える誰かと共にこの世に〈在る〉ことは、他のことに代えがたいありがたさを感じる。

 私たちはいつも〈関係性〉の中にいる。
 猫と、梅と、職場と、自宅と、そして誰かと何らかの関係があればこそ、自分が自分でいられる。
 もしも100年分の食糧と100年間過ごせる空間があったとしても、たった一人で、通信手段がない月へ置き去りにされたならば、発狂するか自殺するか道は二つに一つしかなかろう。

 優しいAさん、感激屋のBさん、いつも陽気なCさん、怒りっぽいDさん、偏屈なEさん、皮肉屋のFさん、……。
 そうした方々と接し、何らかの〈反応〉をするところに〈自分〉が見出される。
 病気のGさん、しばらく会っていないHさん、誤解を解いておきたいIさん、……。
 そうした方々を〈思い出す〉ところに、心配したり祈ったり、電話をしたくなったり、会おうか会うまいか逡巡したりする〈自分〉が居る。
 目覚めた布団の中で、〝昨日、食欲がなかったクロは元気かな〟と愛猫を想う。
 顔を洗い歯を磨きながら、〝梅は咲いたかな〟と庭木を想う。

 そこにしか〈自分〉は居ない。

 だから、もしもそうした関係が次々と断ち切られたならば、〈自分〉はどんどん希薄になることだろう。
 脳は、著しく機能低下しない限り、何らかの機能不全に陥るだろう。

 今月、あるいは今日、誰かの誕生日が来る。
 何と嬉しいことだろう。
 おめでとう、と意思表示すると、ありがとう、と返って来る場合もある。
 返って来ようが来まいが、自分に湧き起こっている喜びは、心にもいのちにも力を与える。

 誕生日は、その日に生まれ、経年後のその日を迎えた当人にとってのお祝いとなるだけでなく、となったすべての人にとってのお祝いともなる。
 
 若い人々は、何かにつけ、おをやりたいので、誕生祝いは格好のチャンスとなる。
 しかし、年配者になると、自分が年をとったことを思い出したくないなどの心理から、誕生日を意識しなくなったりする。
 それは残念だ。
 たとえ自分の誕生日は気にしなくても、知っていたはずの誰かの誕生日は思い出したい。
 その人の笑顔などを思い出すだけで、心が温かくなるはずだ。
 現代医学は、体温が1度下がると免疫力が30パーセント下がるといい、筋肉の衰えを防ぎ体温を確保するために歩くことを勧める。
 心も温かくなると必ず活性化する。

 誰かの誕生日を祝いたい。
 その思いはきっと、相手の心へ明かりを届け、優しい追い風となるだけでなく、祝う自分をも元気づける。
 そもそも、お釈迦様はこう説かれている。
「ありとあらゆるものはによって現象している」
「自分がを脱したいなら、他のためを思え」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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