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2016
03.25

Q&A(その19)逝った妻に会えるか? ─あの世のあるなし─

2016-03-25-0002.jpg

 以下、人生相談に来られた方々に成り代わって書きました。

 僕の妻はときおり、薬を大量に飲む。
 彼女の何がそうさせるのか、僕の何がそうさせるのか、しかとはつかめないが、見つければ止める。
 そして言い聞かせる。

「死ねば何もなくなくなってしまうんだよ。
 君とのも、ここまで育てた子供との思い出も、君にとっての僕も、いなくなってしまうんだよ。」

 でも、妻は、発作を起こすように突然、実行しては周囲を慌てさせ、ある日とうとう限度を超えた。
 死んでしまったのだ。

 いなくなってみると、気づく。
 妻へ「死ねば何もなくなってしまう」と言い聞かせながら、僕もいつしか、そう思うようになっていた。
 妻がいなくなることを想像すると、文字通り、何もなくなってしまうような恐怖感に襲われ、そうなって欲しくないという気持がああいうふうに言わせていた。
 同時に、言いつつ、〝そうに違いない〟という信念がつくられていたのだ。
 僕自身が、あの世のあるなしをよく考えたわけではない。
 奇妙なことに、恐怖は信念となっていた。

 しかし、実際に妻がいなくなり、恐怖が現実のものとなった今、今度は、何もなくなってしまうことがどうしても信じられなくなった。
 いつも、どこかにいるはずの妻を探している。
 咲いた梅や、子供の声や、カレーライスの匂いなど、何もかもが、もどかしい思いをかき立てる。
 ──どこにいるんだ……。

 酒を飲み、独りで泣き、せめて夢に出て欲しいと願いつつ床に就くが、一度も会えない。
 かつて、妻へ言い聞かせ、自分の信念となっていた思いは完全に裏返った。
 死んでも決していなくならない。
 そのことはわかっているのに、どこにいるかがわからないだけだ。
 あの世はどこにあるのだ?

 僕はある僧侶へ会いに行った。
 単刀直入に訊ねた。

「死ねば何もかもがなくなるんでしょうか?
 死んだ人は無になるんでしょうか?」

 僧侶は妻を供養してから、こんな体験談を語った。

「昔、娑婆で世話になり、かつ、迷惑をかけたまま、お礼もお詫びも言う機会のないままに、あの世へ逝ってしまった人へ懺悔し続けていました。
 懺悔は海へ水滴を落とすような感覚で、まったく、つかみどころのないものでした。
 10年ほど経ったある日、祈りつつ山道を歩いていたところ、ふと上げた視線の先にその人の後姿がありました。
 ゴルフ帽、いかり肩、上体を揺らさずに進める一歩一歩、まごうかたなく、その人でした。
 言葉にならない言葉で喉の奥が詰まり、呼吸が止まって涙が溢れました。
 メガネを外し、涙を拭いた時、もう、無人の山道が静かに延びているだけでした。
 今もその人を供養していますが、あの時以来、いつでもその人は背中で供養を受けてくださいます。
 あまりにもはっきりと……。」

 それっきり僧侶は黙った。
 僕も黙っていた。

「妻へ謝り続けます。」

 これだけ言って、辞した。
 手には僧侶が書いた『供養について』という小冊子を手にしている。
 僕も懺悔供養を続けたいと思う。
 いつか、きっと、疑問への回答に出会えることだろう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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