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2016
04.18

【現代の偉人伝】第225話 ─万葉集を読み解いた秦野桃子さん─

2016-04-18-0001.jpg
〈花曇りの夕刻に出会ったカタクリの後姿〉

 第8回万葉こども賞コンクールの入賞者が発表された。
 2000点を超える作文と絵画が応募され、作文の部では神奈川県在住の秦野桃子さん(日本女子大附属中学校3年生)が最優秀賞に輝いた。
 秦野桃子さんは大伴家持が詠んだ万葉集唯一のカタクリに関する一首について新鮮な解釈を示した。
 読んでみよう。

「物部の 八十少女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花 (巻十九 四一四三 大伴家持

(※読みは以下のとおり「もののふの やそをとめらが くみまがふ てらゐのうへの かたかごのはな」)

(※大意は以下のとおり「(もののふの)たくさんの少女たちが入り乱れて水を汲む寺院の井戸の傍らに群がり咲いているかたかごの花」)

 舞台は越中。
 大勢の少女達が水を汲んでいる寺の井戸の傍らには、堅香子の美しい花が咲いていた。
 家持はこの雪深い越中にも訪れた春に対して、心の中に広がっていくささやかな喜びをこの景色と味わったのだと思う。

 春というと華やかな印象が強いが、春の訪れは静かで繊細で、その不確かさがまた味わい深い。
 早春、入り乱れて水を汲む少女たちのまぶしく明るい雰囲気の中に、愛らしい堅香子の花が咲いていた。
 堅香子の花はかたくりの花のことで、紫色で小さく、先端にひとつだけ下向きに花を咲かせる。
 いかにも春を連想させるような姿でこそなく、上を向いて主張してきたりはしないけれど、そんなけなげで控えめな様子がまた上品で貴重なものに思えてくる。
 家持は、少女たちのいるにぎやかさの中でも、無言でひっそりとしたどこか物悲しいような花の姿に惹かれるものを感じたのだ。

 実は四千五百首程もある万葉集の歌の中でこの堅香子の花が取り上げられるのは唯一この歌だけだ。
 誰もが目を向け気に留めるような、ありきたりな花ではないからこそ、彼が本当にこの花に何かを訴えかけられ引きとめられたのだということが伝わってくる。
 家持はこの堅香子の花の寂しげなさまに少なからず自分と近しいものを感じたのだろう。
 大伴家持は様々な葛藤を生き抜いた人だ。
 強くあり続けながらも、心の奥に秘めていた孤独が歌にも表れていると思う。
 弱々しくも力強く耐えて咲いている愛らしい堅香子の花は、まるで彼自身の内面を映し出しているかのようで、家持は見失って捉えられなかった自分自身を見つけたような気持ちになったのではないかと思う。

 家持の心でこそ感じることのできた春の訪れは、他の誰が感じることもできない絶妙なものだ。
 いつもと変わらないような日常の風景が少しずつ春に染められていく。
 その誰も気付かないような初めの一滴に彼は気付いたのだ。
 春が来たからといって生活に変化がもたらされる訳ではないだろう。
 けれど、日常がほんの少しだけ色付いていく。
 代わり映えなく続いていく日々の中の、ちょっとしたスパイスとしてこの春があればいい。
 ずっと明るい春ではなくても、日常の中に些細な楽しみを見つけて生きる、そんな生き方もいいものだと思わせてくれる。」


 一読し、最後の述懐に目を瞠らされた。
 15才の少女が「日常の中に些細な楽しみを見つけて生きる、そんな生き方もいいものだ」と思わされたとは。
 今から約1270年前の西暦750年、越中(富山)に赴任していた32才の大伴家持は、雪深い冬を過ぎて都の春を想う時、やはり同様に考えて自分を慰めていたのではなかろうか。
 そうした気持が遙かな時を超えてうら若い少女の魂と感応したできごとは、歴史という長い時間をかけて選ばれ、保持され続けてきた古典が持つ力と価値を再認識させられる。

 ここでカタクリが選ばれたのは絶妙である。
 うつむき、他の植物と日光を奪い合うことなく、まだ寒さの残っている頃に、さり気なく咲く。
 日光が弱い時や夜間には花を閉じる。
 アリに運ばれる種子は地表に落ちてから8年の月日をかけてようやく咲く。
 しかも、鱗茎はデンプンの材料となる。
 若さが溢れ華やかな少女たちではあるが、はじらいや、ためらい、あるいはつつましさや、しおらしさ、そして謙虚さや献身的姿勢などがいのちの輝きに好ましい彩りを与えている。
 カタクリそのものではないか。
 
 物部とは、「文武の官」であり、無数にあることから「八十(ヤソ)」にかかる枕詞(マクラコトバ)になった。
 カタクリの花たちは、都から遥かに離れた地で春を迎えた大伴家持へ、宮中に仕えるたくさんの少女たちを連想させた。
 その一方で、黒い土の上で背低く、開花期間も短いカタクリは儚げであり、春に咲く花を言う「スプリング・エフェメラル(春の儚いものたち)」にふさわしい。
 カタクリの佇まいは、「誰も気付かないような初めの一滴」として春の訪れをそっと告げる。

 ちなみに、カタクリの花言葉は「初恋」「嫉妬」「寂しさに耐える」などとされる。
 そうしたパターンにはまらず、この一首へ自分の視点から注目した秦野桃子さんの力量は将来が楽しみである。
 日本の若者の実力を示した。
 偉人伝に記しておきたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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