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2016
04.21

地域や家族のありようを求めて ─団地の畑─

2016-04-20-000122.jpg

 ある通夜ぶるまいの席に珍しく町内会関係者がたくさんおられ、箸を動かしながらお話に聴き耳を立てました。
 若い方も年配の方も、町内にある作りや、その作物で開催する芋煮会などのエピソードで盛り上がっていました。
 子供の頃、そのあたりで遊んでいた人もいれば、転勤を終えて戻って来た人や、退職後にメンバーとなった人もいます。
 故人と共に、無心に、無邪気に過ごした日々の思い出話はとても好もしく聴こえ、思わず、遺影を振り返って眺めたほどです。
 穏和なお顔は「おい、おい」と語りかけてくるようでした。

 都市にある団地
 それは、関心を持つ人にとってはかけがえのないものであり、無関心な方にとっては風景の一部でしかないかも知れません。
 のみならず、カラオケ同好会であれ、書道教室であれ、何人かが集う場があれば、それでいいのではないでしょうか。
 参加は自由という基本原則さえ確保されれば、意欲のある人々の創意と工夫で続くものは続き、消えるものは消え、新たに生まれるものもありましょう。

 無言の強制や、その裏側にある村八分や肩身の狭さ、こういった日常生活の夾雑物に現代人は堪えられません。
 地域が生きるかどうか、豊かであるかどうかは、住民が無心に、無邪気につき合える、あるいは何か生きがいが感じられる多様な機会があるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
 同時に、孤独で過ごしたい人にはそっとしておく思いやりも必要です。
 皆が皆、〝病院で手厚い看護を受けながら1日でも長生きしたい〟と願っているわけではないのです。

 たとえ夫婦別々な趣味の時間を過ごそうとも、それぞれに活き活きと生き、それぞれなりに死んで行きたいと多くの年配者は考えています。
 生き方、死に方についての人生相談は絶えません。
 生き方はまだしも、死に方は自分一人でどうこうできるわけではないからです。
 必ず誰かの手を借りない限り、死後の自分はこの世からスムーズに消えられず、戦中戦後を生きた人々は〈始末〉の大切さと自己責任の重さを骨身に沁みて知っているからです。

 小生が記事に書いた「新たな家族のありよう、地域のありよう」も「新たな時代」も、これからの自由で創意に満ちた工夫によって徐々に創り上げられて行くことでしょう。
 いすれにせよ、忘れてならないのは、人間の尊厳であろうと思っています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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