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2016
04.22

詩と死そして平和 ─「詩のカノン」に想う─

2016-04-22-0001.jpg

 長田弘氏は平成27年5月3日、去した。
 亡くなる前日まで仕事を続け、同年7月1日、推敲を重ねた『最後の詩集』が出版された。
 その中に「のカノン」はある。

のカノン

昔ずっと昔ずっとずっと昔、
川の音。山の端の夕暮れ。
アカマツの影。夜の静けさ。
毎日の何事も、だった。
坂道も、家並みも、だった。
晴れた日には、空に笑い声がした。
神々の笑い声は平和な詩だった。
平和というのは何であったか。
タヒラカニ、ヤハラグコト。
穏ニシテ、變ナキコト。
大日本帝国憲法が公布された
同じ明治二十二年に
大槻文彦がみずからつくった
言海という小さな辞書に書き入れた
平和の定義。平和は詩だったのだ、
どんな季節にも田畑が詩だったように。
全うする。それが詩の本質だから、
も、詩だった。無くなった、
そのようなが、何処にも。
いつのことだ、つい昨日のことだ、
昔ずっと昔ずっとずっと昔のことだ。


 小生も学生の頃、『言海』には独特の味わいを感じていた。
 研究者の『英和辞典』のように。
 それにしても、この定義はどうだろう。
 平和とは「世の中も人も心も平らかにして、各々が和らぎをもって生きること、そして日々が穏やかにして急な変事が起こらないこと」であると言う。
 そこでは「全う」されている。
 何が?
 人の生が、生きとし生けるものの生が。

 むろん、人生に雨風はつきものだ。
 しかし、テレビで観る限り、九州で地震の被害に遭った方々の中には、あれほどの天災に遭ってさえ、静かな諦観を抱きながら避難生活を送っている方もおられる。
 平らかでない、和らげない、穏やかでない、変事のただ中にある。
 そこでは暴動も、強盗も、強姦も、殺人も起きず、の恐怖さえ伴うほどの苦はじっと耐えられている。
 お一方(ヒトカタ)お一方のこれからの人生は、どなたも見通せないことだろう。
 しかし、避難所の静けさ、感謝の言葉はどうだ……。
 ようやく始まったボランティアの方々と避難者の方々の交流はどうだ……。
 ここでも「全う」されているではないか。
 こう書いていると涙が出そうになる。

 ある時、斎場でお唱えする御宝号(ゴホウゴウ)「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」に幾人もの方々が突然、ご唱和くださった。
 真言宗ではないご一族だが、ブログなどで当山の法務を知り、小生は大役をおおせつかった。
 それだけに驚き、感激もした。
 ご葬儀で、お別れの言葉などは特段、なかったが、誠実一筋だったという故人へ届いた電報はいずれも形式的なものではなく、会場から押し殺す嗚咽が聞こえた。
 ご葬儀の最後には、さらに多くの方々がご唱和くださった。
 南無大師遍照金剛──、南無大師遍照金剛──、南無大師遍照金剛──。
 粛然と、どこか温かく、ご葬儀は終わった。
 怖れずに言えば、あのは詩だったのではなかろうか?
 あれが「全うされた」でなければ、長田弘氏の言う「どんな季節にも田畑が詩だったように」全うされる死など、そもそも、人間には与えられていなかったと言うしかない。

 我々は、詩であるように生き、詩としての死を死んでゆけるのではなかろうか?
 長田弘氏はそうだったのではなかろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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