--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
05.03

生き霊に死霊は混じり桜ばな

2016-05-03-0001.jpg
〈強まる緑と永代供養共同墓『法楽の礎』の十三仏〉

 夏が来る。

生き霊死霊は混じり桜ばな散りたる庭にが出てくる(吉川宏志)」


 平成11年、靖国神社で詠まれた一首である。
 そこでは生者と死者の思いが交錯している。
 まして桜の季節にあっては。
 しかし、桜が何をかきたてようと、念の世界である。

 ここにが出てくると話はガラリと変わる。
 リアルなのだ。
 同じ風土にあって、漂うものと、たとえ小さくても確かな歩みを刻むもの。
 散り敷く桜の花にの動きを認めた時、歌人は目の眩むような思いを持ったのではなかろうか。

「山中の小公園に水照りて信長のごと雀蜂来る(吉川宏志)」


 山で見つけた小さな公園。
 夏の陽射しが反射して眩しい池の水面。
 動かぬ暑い空気、そして焦点を失いつつある視線。
 そこに突如、スズメバチが飛来する。
 唐突さ、槍のような突進、静寂を破る羽音は身震いさせる。
 
 彼はまぎれもなく雄なのだ。
 容赦ない禍々(マガマガ)しさが伝わってくる。

「給食の献立表に『かしわ餅』あれば楽しも五月はじまる(吉川宏志)」


 子供の頃を懐古して詠んだのだろうか。
 桜の花が去ったあとで作られる桜色の餅と、香り立つ緑の葉。
 ドロリと暖かな春がカーンと強い夏に入れ替わる時期を象徴する柏餅は、まさに皐月の象徴だ。
 
 上記の三首は、いずれも、「」「雀蜂」「かしわ餅」の存在感が凄まじい。
 本当は、存在する何もかもが凄まじい真実を告げているのに、普段の私たちはそれに気づかない。
 桜を眺め、水面を眺め、給食をほおばっているだけである。
 そのまどろみの中で、「」も「雀蜂」も「かしわ餅」も、さしたる光彩を放つことなく、小さな漣(サザナミ)を起こす程度で行き過ぎる。
 しかし、歌人はまるで背景から何かを切り取る魔術師のように、それらをあまりにも鮮やかに輝かせる。
 お釈迦様は弟子たちへまず「起きよ!」と説いた。
 私たちはいつ、何をきっかけに気づき、起きるのだろうか……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。