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2016
05.07

信頼という宝もの ─死後の安心とは─

2016-05-07-0001.jpg
〈人の目のないところで〉

 ある秋の午後、Aさんは「墓地のことについてお訊きしたい」と人生相談にやってこられた。 
 ごく普通の安定した職業に長いこと従事してきたAさんの質問は、いずれも勘所を外さぬものだった。
「私が亡くなったら、ご住職はどんなふうに戒名をつけてくださるのですか?」
「私が死後年忌供養を受けるのにはどういう意味があり、ご就職は何をしてくださるのですか?」
「ご住職は新聞などでご自身のご意見を明確にしておられますが、多少、意見の食い違う者もきちんと送っていただけるのですか?」
 舌を巻いた。
 短いやりとりの後、Aさんはその場で墓地の契約を申込み、つぶやかれた。
「ようやく見つかりました」
 かたわらの奥さんへ言う。
「おい、もう大丈夫だ」

 Aさんは「ゆかりびとの会」へ入会したが、それきりとんと顔を見せず、どうしておられるかなあと思い出すようになった頃、突然、訃報が届いた。
 メガネを外し、仰向けになったAさんの顔は、あの時と変わらず、穏やかだった。
 そして、口元は緩んでいない。
 違うのは神々しさをまとっておられることだけだ。
 無口で表情は動かないのに、周囲の空気が一種の明るさを漂わせている。
 自然に手が合わさった。

 Bさんは、居合の見学を申し込まれ、友人と二人でやってきた。
 まだ少女のような無邪気さを振りまきながら、熱心に質問された。
 み仏のご加護をいただく剣法というものに心底、驚いた様子だった。
 深い関心を持つ一方、二人とも、自分にはやれないという結論に達した旨を正直に言われた。
 そんなBさんは、お身内のご不幸に際してご主人と共に当山を選び、久方ぶりの再会となった。

 留守電で聞いたBさんの訃報は信じられなかった。
 明るくふるまっていたBさんは、人知れず闘病生活をしていたという。
 当山が発行する機関誌や新聞記事に欠かさず目を通し、ご主人や友人たちとあれこれ議論することが楽しみだった。
 お柩の中でBさんは微笑んでおられる。
 信じていますと語りかけてくるようで涙があふれそうになった。
 
 当山を信頼する方が逝かれたならば、信頼は永遠に託されたことになる。
 不動の信頼へ当山はどうお応えしてゆけばいいのか?
 どうお応えせねばならないのか?
 寺院の存在理由と価値が問われている。

 死を託す相手を選び、信頼して託すことは真の宗教行為である。
 託された死と死後に対して、信頼に恥じぬよう誠意を尽くすこともまた、真の宗教行為である。
 一行者、宗教者として、信頼を宝ものとして守り、死にたいと願う。
 あの世で、AさんやBさんと一緒に、信頼という宝ものが発する光に浴したい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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