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2016
05.12

迷いなどを抱えていれば菩薩を目指せないか? ─仙台稲門会にて─

2016-05-12-0001.jpg
〈自然の花かご〉

 5月10日、仙台稲門会で「見捨てない心をつくる」というお話をしたところ、最後にご質問をいただいた。
「心に問題を抱えている人は菩薩(ボサツ)として生きられないのでしょうか?」
 菩薩とは、布施・持戒・忍辱(ニンニク)・精進・禅定(ゼンジョウ)・智慧の六波羅蜜(ロッパラミツ)行を成就しても、自分だけが安心の世界へ行ってしまわず、この世に現れてくださる存在であると話したからである。
 つまり、悟っても、悟りの浄土へ行ってしまわないのが菩薩なら、いろいろやらかし、悟っていない私たち凡夫菩薩として生きられないのではないか、ということだ。

 確かに地蔵菩薩も、観音菩薩も、迷い、苦しむ凡夫ではない。
 悟った者であるからこそ強大な救済力を発揮できる。

 では、迷いと苦しみに満ちたこの世に現れ、私たちの身近でお救いくださるとはどういうことだろう?
 現れたお地蔵様はいろいろなお姿をとる。
 経典は説く。
 
「仏身、菩薩身、辟支佛(ビャクシブツ)身、声聞(ショウモン)身、梵王(ボンノウ)身、帝釈(タイシャク)身、閻魔王(エンマオウ)身、毘沙門(ビシャモン)身」

 さまざまなみ仏や神様の姿となる。
 しかし、それだけではない。

「長者身、居士(コジ)身、宰官身、婦女身」
 
「薬草身、商人身、農人身」

「大地形、山王形、大海形」

 長者、信徒、役人、女性、草木、庶民、山や海などの大自然。
 まだまだあるが、これは文字どおり、救済を求める相手に必要な何ものにでもなってくださることを意味している。
 ならば、私たちも、欠陥や罪や愚かさなどを持ったままで、お地蔵様になり得る瞬間があるはずではなかろうか?

 だから、こんなふうにお答えした。

「そうですね。
 小生もたくさん欠陥を持っており、重々、自覚しています。
 しかし、それでも菩薩を目ざして修行し、法を結び、人生相談などを行っています。
 たとえば、小生と同じような欠陥に悩む方が来られると、その方の苦しみや辛さが我が身に沁みてよくわかります。
 手を取り合うような雰囲気で問題に対峙したりもします。
 だから、大切なのは問題意識ではないでしょうか?
 自分が凡夫であることを自覚した上で、菩薩を目ざす。
 そうして生きていれば、この身このままで、いつかきっと誰かの何かの役に立てる。
 その瞬間には、まぎれもなく菩薩になっているはずです。
 それを即身成仏(ソクシンジョウブツ)と言います。
 誰かへ心から優しい言葉をかけた瞬間、その人は生き仏として菩薩になっています。
 凡夫が救い、救われる道はここにあります。」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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