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2016
05.22

生きることと知ること ─マンダラへ─

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〈皆さんからいただいた樹々が活き活きしています〉

1 私たちが生きて知ること

 私たちは一生かかって何を知るのだろう?
 一つは、「誰もがいつかはすべてを失う」ということではなかろうか。
 そしてもう一つは、「自分は、〈自分のいのち〉ではなく、〈大いなるいのち〉を生きている」ということではなかろうか。

 モノはたやすく壊れ、人の心もたやすく離れ、人のいのちもネコのいのちもたやすく消え、自分も必ず死ぬ。
 たったこれだけの事実が〈自分のこと〉として腑に落ちていないために、右往左往し、悩み、怒り、悲しむ。
 モノ金も、交友関係もなければ酷く、寂しいが、あればあったで保持に腐心し、誰かとぶつかり、勝手に〝ないほうがよかった〟などとも思う。

 自分のいのちはどこにあるかも定かでないが、ネコともスズメとも、生きて在るという真実を共有している直感は動かせない。
 一匹のネコが生きていることと、一羽のスズメが生きていることと、一人の自分が〈同じく〉生きていることとは、「ネコ」と「スズメ」と「自分」とを分ける分別の意識から離れないとわからない。
 手にはとれず、何らの測定もできないが、存在し、広がっている〈生〉という次元があって初めて、自分の〈生〉がある。
 それは海水と一滴の飛沫の関係に似ている。
 だから、私たちの文明の行く先を誤らないために不可欠とされている「共生」は、これからつくり出して行くという考え方もあろうが、むしろ、そのようにあるという真実に気づき、共生している真実の次元でお互いのいのちを尊び合う先に、顕わになってくるのではなかろうか。

2 いのちと真如マンダラ

 仏教は、この世のあらゆるものが空(クウ)であり無常であると観る一方で、有為転変の世界とは異次元の世界にある真実を真如(シンニョ)といい、視角による真如の理解と直感をうながすためにマンダラが構想された。
 瞑想阿字観(アジカン)の本尊もまたマンダラであり、瞑想を行って真如を感得する感覚が身についてくると、ケキョケキョ、ホーホケキョと鳴くウグイスの声や、ケーンケーンと鳴くキジの声、そしてワオーンと鳴く犬の声にもマンダラが感得できる。
 それを法マンダラという。
 さまざまな服装や表情で人々が行き交う街角の光景もまたマンダラであり、それを大マンダラという。
 幼稚園の先生が前後を守り、児童たちが並んで歩き、お巡りさんが交通整理し、車が止まって児童一行の通過を待っている様子は羯磨(カツマ)マンダラである。
 病院で、医師や看護師や薬剤師や警備員などがそれぞれの服装によって役割を示している様子は三昧耶(サンマヤ)マンダラである。

 お大師様は、み仏の世界を4種類のマンダラで示した。
 文字や言葉による法マンダラ、姿形の大マンダラ、活動の羯磨(カツマ)マンダラ、誓いのシンボルの羯磨(カツマ)マンダラである。
 み仏の世界は私たちの心にあり、それがはたらけば上述のように、この世のあらゆるものがマンダラとして立ち現れる。

 月輪観(ガチリンカン)や阿字観瞑想を行うのは、現実逃避のためでなく、思いこみをつくるためでもなく、空(クウ)と真如が直感できる〈心の解放〉を得るためである。
 守本尊瞑想による救済もまた、そこにある。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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