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2016
06.28

供養は心の昇華作用 ─7月の聖語─

 お大師様の聖語です。

「法界は惣(ソウ)じてこれ四恩(シオン)なり。
 六道(ロクドウ)、誰か仏子(ブッシ)にあらざらん。
 怨親(オンシン)を簡(エラ)ばず、悉(コトゴト)く本覚(ホンガク)の自性(ジショウ)に帰(キ)せしめん」


 意訳です。

(この世のすべては、すべて、親の恩、生きものの恩、国家社会の恩、仏法僧の恩によらないものはない。
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、いずれの世界にあるものも、すべて御仏の子として、悟りを開き苦を脱する可能性を持っている。
 怨んでいたり、親しんでいたりする関係にとらわれず、すべてのものを、元々み仏であることに気づかせ、その本当の姿を明らかにさせたい)

 この世は〈おかげさま〉の力で成り立っています。
 生まれ出るのは親の恩、飲み食いする食糧も生きられる環境も生きとし生けるものの恩、日常生活の安全・安心は国家社会を司る人々の恩、そして、人がまっとうに生きられるのは、み仏と教えとそれを守り伝える人々の恩によります。
 私たちは古来、こうした目に見えない恩恵をひっくるめて「おかげさま」と言い習わしてきました。
 そもそも、生きとし生けるもので〈み仏の子〉でないものはありません。
 だから、権力や財産などを持っていたり、善行に励んでいたりする人だけが成仏できるというわけでなく、貧しく、虐げられているものや悪業を積むものが特に強い救済力を受けるわけでもありません。
 み仏の慈眼から見れば、よい子も、問題のある子も、等しく我が子なのです。
 お大師様は、そうした立場に立って、ご供養しようと願われました。

 ちなみに、供養の心は、どのような形でも起こります。
 太平洋戦争に敗れた後の昭和29年、定時制高校の卒業記念誌に矢敷喜一が「お父さん」という文章を書きました。
 誰にも最期か確認されず、遺骨すら戻らない南方の激戦地に眠る父親を想って綴られたものです。
 以下、澤地久枝著『昭和・遠い日 近いひと』から転載します。

「……お父さんの眠られたアッツ島では今寒い北風の冬でしょう。
 お父さんの遺骨も早く故郷の土にお埋めしたいのですが実情が許しません。
(略)
 映画〔「風雪の二十年」〕の主人公は片脚になっても帰って来ましたが、お父さんはもう帰れないのですね。
 脚も両方とも無くなってしまったのですか?
 心だけでも帰って下さって私の胸におさまって下さい。
 どうも私一人では何事につけ寂しいですから。
(略)
 北風の孤島に漂える、
 よ。
 朽ちたる古船の如く、
 怒濤の中に、
 浮き沈みするよ。
 宿い寄る岩さえ遠し、
 呼ぶに迷える父のみたまよ」


 心で合掌しつつ書かれた文章は、矢敷喜一の思いを表して余りあると言えましょう。
 合掌は身体の形。
 文章は溢れ出た言葉。
 呼びかける思いは心の叫び。
 身口意がみ仏になっています。
 自分が生き仏になれば、そのこと自体が立派な供養です。
 この心を持って世の中を眺めれば、さまざまなものが供養の対象としてたち顕れます。
 供養は、いつでも、どこでも、何もなくても可能な心の昇華作用なのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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