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2016
07.12

まごころの表れであるお斎(トキ) ─Q&A(その25)法事後の食事は何のために?─

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 皆さんは、ご法事の後で、「お斎(トキ)」というあたらまった食事をすることの意義をご存じでしょうか?

 そもそも、托鉢(タクハツ)と説法の旅をしているお釈迦様などの行者をお迎えしたおりには、まず、足を洗って一休みしていただきました。
 そして、座る場所やお食事を捧げてご供養することと、説法によって救われることはセットになっていました。

 私たちは普通、仏神へ手を合わせる際には、それなりにお賽銭やお線香などのお供え物を捧げてから祈念します。
 社会人のふるまいとしても、誰かにあらたまった相談ごとやお願いごとを持ち込むならば、通常、手ぶらでは相手を利用するだけになり、非礼であると考えられます。

 さて、お斎は、亡き人の菩提(ボダイ)を弔う誠心をご縁の方々にご理解いただき、供養の功徳(クドク)を集めて追い風とし、故人に安心の世界へ旅立っていただくための重要な機会と言えます。
 僧侶が精一杯の願いを込めて読経するのと同じく、この世で縁を結んだ方々が精一杯の思いを目に見える形に表し、願いや思いを仏界へ届けるのです。

 また、故人へ心をお寄せいただいたありがたい方々をおもてなしする施主としては、〈モノ金が惜しい〉という我欲(ガヨク)を離れた布施行(フセギョウ)であり、故人の死をきっかけに人間修行ができる尊い機会でもあります。
 親子であれ何であれ、人を送るというその人間関係においては一生に一度しかない厳粛なできごとにあたり、我欲(ガヨク)や損得計算を主とした行動をとるのはいかがなものでしょうか。

 また、社会貢献という観点から観れば、昔は世界中のどこででも、盛大に人を送ることのできる家は限られていました。
 だから、地域の富を集めている家が行う〈大盤振る舞い〉は、広く社会へ富を還元するという大きな意味合いも持っていました。

 日本で法事が庶民にも可能になったのは江戸時代とされています。
 当時、世界一の識字率を持っていた江戸時代の人々が身分のいかんを問わず、広く法事を行い、その家なりに精一杯の誠意で故人を送り、ご縁の方々をおもてなししていたことを想うと、真の文化のレベルはどこにあるか、何もかもが損得計算的色彩に彩られた現代人の心はどうか、深く考えさせられてしまいます。

 お斎をきちんと行うことは決して見栄を張る虚飾ではありません。
 安心の世界へお導きくださるご本尊様をご供養し、修法する導師をご供養し、故人の安心成仏を願う人々と心を一つにし、故人がこの世でお世話になった方々をおもてなしし、もって施主一家の布施行とする尊い機会なのです。

 しっかり考える余地があるのではないでしょうか?
(小生自身はなかなか時間的余裕がなく、お斎に参加できないケースが多くて申しわけなく思っています)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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