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2016
07.25

ポケモンGOが抱える根本的問題(その2) ─視線・場・映画館─

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 ポケモンGOの問題、危険性について、もう少々、考えてみたい。

1 見る無礼、見られる不快

 見る行為は、見られる相手に対して一方的であり(特に、相手が気づいていない場合は明らかだ)、相手が人間であっても、状況や目的によっては、モノとして見てしまう。
 私たちは視線を気にする生きものなので、その一方向生と、モノ扱いが、〈失礼〉〈無礼〉という感覚を呼び起こす。
 ポケモンGOにおいては、眼前に人間がいても、それは単なる〈背景〉であり、人間であることはポケモンを意識する以上には決して意識されない。

 だから、見知らぬ相手から無遠慮に機器を向けられた人は、当然、不快感を催す。
 女性に向けた男性は、盗撮を疑われもしよう。
 実際、視界に女性が入ったために、ゲームを盗撮へ切り替えたり、あるいはゲームを装った盗撮が多発することは容易に想像できる。

 女性ならずとも、不快感が怒りに結びつき、暴力的な場面へと発展することもあろう。
 生きものとして身を守り、人間として尊厳を守る感覚が、〈失礼〉〈無礼〉と感じさせる時、「遊んでいるんだから」という理由で免罪になるはずはない。
 不安や苛立ちに満ちた世相は、ますます刺々しさを増すのではないか?

2 場を忘れる非社会性

 ゲームに夢中になるあまり、私的空間など、本来、立ち入るべきでない場所へ侵入したり、神社や仏閣などの聖地内でゲームを行ったりする例がすでに出ており、社会を保つ常識や良識が忘れ去られかねない。
 アメリカなどでは恐らく、ハロウィンの最中に仮装した子供が撃ち殺されたような事態が発生するだろうし、出雲大社が「神社境内地・周辺社有地及び國造館敷地などでのゲームアプリ『ポケモンGO』の使用は禁止とします」と掲示したのは当然である。
 そこが〈どこ〉であり、そこにいたり出入りしたりする人間にとっていかなる空間であるかを無視し、誰もが、世界中のどこででもゲームの主役になろうとするのは、場の多様性や個の尊厳を無視する危険な姿勢である。 

3 映画館に呑み込まれる日常生活

 映画館でなら、節度が守られる範囲であれば、暴力や破壊やセックスなどを表現する架空の世界へ浸り、日常生活での心理的抑圧を解消するなどのことが許される。
 電子機器の発達により、それが個人の私的空間へ深く侵入してきたが、それでもまだ、個人的な時間、空間内でのできごとだ。
 ところが今度のアプリによって、全世界で、いつでも、人々は架空の世界に浸れるようになった。

 ところで現在、暴力的気分が世界的規模で膨らみ、世界中で、個人的理由によるテロ的行動が多発している。
 私たちは、自分を被害者やその家族の立場に置き、暴力という〈手段〉の愚かさ、恐ろしさ、おぞましさ、そのものを直視せねば、歪みつつある心性に呑み込まれてしまいかねない。
 一人一人の心に発した〈気分〉は、いかに警備やパトロールを強化し、危険人物の私生活をチェックしたところで、消し去ることはできない。

 文化人類学者である上田紀行東京工業大学教授は、7月21日付の河北新報「洗脳招いた脱宗教化}において、テロリストたちの心理と行動を分析した結果、「日常における宗教教育の不在が過激な宗教思想への傾斜をもたらすという逆説がここにはある」と指摘した。
 宗教の肝腎なところが家庭でも学校でも見捨てられているために、ネットを信じネットに補足される若者たちは、たやすく、宗教本来の役割から外れた洗脳を受け、暴力的気分にお墨付きをもらった英雄として破壊的活動に走る。
 宗教を軽視し、個人主義を絶対とする現代文明が、世界のネット化によって歪んだ相貌を見せている。

 あたかも、日常生活映画館化してしまうような今般のアプリにも、同様の危険性が感じられてならない。
 本当は現実生活で活き活きと生きるために役立つべき映画館的架空世界が、現実生活を脇へ置くような生活をもたらし、現実的世界そのものを見る目を曇らせるならば、本末転倒ではなかろうか。
 架空の世界が主役化しつつある状況は恐ろしい。

4 恣意の可能性

 真の恐怖は架空化の先にある。
 こうして若者たちの心が一つの架空世界へ〈まとめられた〉後で、そこへ一匙の〈恣意〉が投げ込まれた時、若者たちはその異変に正しく気づき、その世界から我が身を遠ざけることができるだろうか?
 現実世界に足を置いてすら、世界を我がために動かそうとするさまざまな〈恣意〉に気づき、それに絡め取られないためには自立的思考力を磨いておかねばならないのに。

 言うまでもなく、〈恣意〉を発するのは資本家であり、政治家だ。
 たとえば、田中角栄はかつて、天まで担ぎ上げられ、地べたへ叩き落とされ、今又、政治家や評論家やマスコミによって天まで持ち上げられつつあるが、一体、誰が、何のためにこんなことをしているのか、私たちはよくよく考えねばならない。
 言うまでもなく、田中角栄は実在した人物だが、現在、私たちの視聴覚へ訴えかけているさまざまな情報はすべて、作られた架空のものなのだ。

 私たちは、〈架空世界に慣らされる〉ことの危険性をよくよく認識しておきたい。
 涙を流させられ、憤慨させられ、感激させられているうちに、何ものかによって取り込まれているかも知れない。
 今回のアプリ騒動は、一部資本家が儲けるためだけではなく、こうした危険性に対する認識活動を鈍磨させる格好の訓練にもなっているのではないか?


 考えすぎだろうか?
 そうであるならよいのだが。
 アプリに熱中する人々に埋め尽くされた光景は、どう見ても、あまりにも異様としか思えないのだが……。 

※以下もご覧ください。
ポケモンGOが抱える根本的問題 ─背景とフィルター─(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-5157.html)
ポケモンGOが持つ共生の可能性(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-5159.html)




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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