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2016
08.07

追いつめられた時は生きなおそう ─四苦八苦に負けないために─

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〈垂直な石の面で動かぬ彼〉

 私たちは人生のどこかで必ず、追いつめられます。
〝もう、だめか……〟
 もちろん、最後には、そこでそのままになりますが、最後でない限り、〈その先〉を生きます。

 これはすなわち、生きなおしです。
 それまで自分に属していたもののすべてが自分の手から離れたような状態になったり、あるいは自分のいのちや心そのものがなくなるような状態になれば、自分のありようは大きく変わります。
 そこで多くの方々は、神や仏やご先祖様、あるいは生や死や人生などについて何かを感じたり、深く考えたりもします。

 仏教では、自分を中心とする生き方から、み仏の教えを中心とする生き方に変えることを発心(ホッシン)と言います。
 出家という形での発心だけでなく、娑婆(シャバ)にいながら発心することもできます。
 生きなおしの典型が発心であるとも言えましょう。

 さて、私たちが逃れられない宿命を、お釈迦様は八苦と説かれました。
 いつ、どこで、誰の子供としていかに生まれるかは、種々の因縁の結果であり、自分の意思で選択することはできません。
 生まれることからして、すでに私たちは〈ままならない〉という苦と共にある存在です。

 愛するものとの別れも、憎んだり恨んだりせずにはいられないものとの縁も、そして、老いることも、死ぬことも、決して逃れられません。
 四苦八苦は、私たちをどうにもならないところへ追いつめます。
〝私はもう、だめか……〟

 しかし、生きてさえいれば必ず〈その先〉があり、落ちついて考えれば、それらは、私たちへ生きなおしのチャンスを与えるものとなり得ます。
 もちろん、波浪に翻弄されている真っ直中ではなかなかチャンスなどとは思えませんが、溺れる者は藁をもつかむといった心境になる場合はあります。
 そこで、必ずしも〈確かなもの〉と感じられなくても、何かが心の手に触れる場合があり、凪(ナ)ぎに出た時、それが羅針盤となって、いつしか導かれていたりします。

 こうして生きなおしのチャンスが訪れます。
 チャンスをつかむかどうかは、畢竟(ヒッキョウ)、それまでの生き方にかかっているように思えます。
 それは必ずしも、そこで信ずることになった何かをずっと調べていたり、それまでいつもそばにあったりする必要はなく、むしろ、ずっと否定してきたつもりの何かが、小説『蜘蛛の糸』でカンダタの眼前に垂れ下がってきた糸のように立ち現れる場合もあります。

 とは言え、多くの場合、私たちは〈慣れた〉方向へと舵を切りつつ生きる生きものです。
 だから、人生の最後に訪れる老苦と死苦が身近に迫っていると感じた時などは特に、自分をよきものに慣れさせる智慧と意思が役立ちます。
 そうすれば、苦に襲われる危機は、生きなおしの契機になることでしょう。

 8月9日の講演会「これからの心のしめくくりを考える ~お盆供養を縁として~」では、体験談を交え、こんなこともお話しし、対話する予定です。
 どうぞお気軽におでかけください。
 お申し込みは022ー224ー3384(ワンネット塾事務局)までお願いします。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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