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2016
08.16

お盆供養会を終えて ─あやふやで確かなもの─

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 午前4時を過ぎてもまだ薄暗く、だいぶ、日が短くなりました。
 真っ暗な中でのコオロギからツクツクボウシへとだんだんに主役は代わりますが、窓から流れ込む冷気はすっかり秋のものです。
 夏の気配と共に去り行く彼らのいのち……。
 むしろ、彼らの一匹、一匹がこの世を去りつつ、灼熱の余韻をも消して行くのでしょうか。

 おかげさまにて、今年もお盆供養会を無事、終えることができました。
 法話は、釈迦族滅亡の因縁にかかわるお話でした。
 本堂から廊下まであふれんばかりの善男善女が集い、ご先祖様や亡き人を偲び、施餓鬼の(セガキ)の趣旨を体して慰霊のまことを捧げました。
 これまでにないほどたくさんのお塔婆が申し込まれ、私たちの心に根付いている宗教心の確かさは、老体に残るエネルギーを活性化させました。

 午後から訪れた仙台市営いずみ墓園にも、たくさんの人々がおられました。
 杖をつきながら、ゆっくり一歩また一歩と歩む母親の手を引いた白髪の息子さん、摘んだらしいお花を両手いっぱいに持ち、ピンクのワンピースで駆ける女児、たった一人で芝墓地に佇み、じっと瞑目している黒衣のお婆さん、野球帽の男の子と二人で手をつなぎ、通路を黙って歩む若いお父さん。
 私たちの日常から肝腎なものはまだ消え去ってはいないと実感させられました。

 無数の死者がいたからこそ私たち一人一人がここにいるのであり、この世で生きた私たち一人一人の生きざまと死にざまは必ず、はてしなく続く〈この世〉のありようにかかわって消えません。
 私たちが箸を使ってご飯をいただくのも、手拭いで顔を拭くのも、皆、そうして生き、死んだ方々から伝えられたふるまい方です。
 
 ちなみに、この世あの世との間に川が流れているという感覚は昔から、世界中にあったようです。
 ギリシャでは、カロンという老人が渡し守で、死者は銀貨を求められました。
 エジプトでは呪文を知っていれば無事、渡れました。
 ペルシャでは、善人だけが橋の向こうにある楽園へ行ける一方、悪人は渡れずに地獄へ堕ちるとされていたので、死を向かえた人々は大変だったと思われます。
 私たちの霊性は、こうした素朴な〈感じ〉を伴っています。
 それは、自分のいのちがどこからどこまで広がっているのか、その縁(ヘリ)を確かめられず、眼前のネコのいのちと自分のいのちとの境界線もわからないのと同じくらい、あやふやでありながら、いのちがここにある真実は疑えないほど確かなことであるのと同じです。

 遥か関西からもお塔婆供養を申し込まれました。
 当山はこれからも、今に生きる仏法を目ざして正統な修法を続けます。
 皆々様に仏神と諸精霊のご加護がありますよう。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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