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2005
07.13

NHK講座『法句経を読む』 ―真の母親―

 慈悲が今日の主題の一つなので、「若貴問題」で書いた大岡裁きを話題にしました。
 実の母親を名乗る二人の女性へ一人の子供を左右から引っ張らせ、勝った方を母親と認めるとしておきながら、実際は手を離した方へ子供を渡したという話です。
 一般的には、母親なら、強く手を引っ張られる我が子の痛さに耐えられないので名判決であるということになりますが、いろいろな意見が出ました。

「手を離せば子供を放棄することになるのだから実の母親なら決して手を離せないはずであって、大岡越前守はまちがっているという説があります」と紹介したところ、Kさんは、「昔なら大岡裁判は正しかったのかも知れませんが、権利意識の強い今の時代では『私に権利がある』と思ったならばとにかく強硬になるし戦闘的にもなりますから、どうかわかりませんね」と言われます。
 確かにそうかも知れません。

 また、Aさんは「大岡越前守は、実の母親を判らなかったんではないでしょうか?痛いだろうと庇う方を信じて渡したかったんではないでしょうか」と言われます。
 事実としてどちらがどうであるかは判断できないけれども、子供を思いやる気持の強い方にこそ母親としての資格があるという説です。
 これも一理あります。

 いずれ、今のように科学的検証のできない時代ですから、事実は判断・確認できなくとも真実はみつかるはずだということだったのでしょう。
 智慧を絞り、人情を信じ真実を求める姿勢は、はるかに時をへだてた私たちの心へ深く訴えるものを持っています。
 だからこそ、ワンパターンと言いたくなる番組でも視聴者は満足できるのでしょう。
 
 み仏は「母が独り子を護るように、一切の生きとし生けるものへ無量の慈しみの心を起こすべし」と説かれました。
 母親の子を思う心は観音様のお慈悲のように絶対的なものだということが前提となっています。
 
 大岡裁きを考え、み仏の教えを思い世相を眺める時、ある恐怖を覚えます。
 ―――もしかして、無条件の慈悲心を持った真の母親が消えつつあるのではなかろうか、と。



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