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2016
10.05

ゆとりある心のつくり方 ─第七十九回寺子屋『法楽館』について─

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〈おかげさまにて、栗原市一迫別院は無事、スタートしました〉

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〈地域の方々がおおぜい、徒歩や自転車や車で例祭にご参加くださり、感激しました〉

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〈地域の無事と発展を皆さんと共に祈りました〉

 第七十九回寺子屋法楽館』では、「ゆとりあるのつくり方」と題して、法話と対話を行います。

1 親しい間柄での構え

 私たちは、に優しさ、厳しさ、正しさ、優雅さ、尊さを持って生きれば、円満な人格となり、自分が無事安に暮らせるだけでなく、他者を傷つけずに生きられます。
 優しさと言っても、自分に優しいのではなく、他者へこそ優しくせねばなりません。
 自分に対しては厳しくする姿勢を持ってこそ、人格は陶冶(トウヤ)されます。
 9月にはこうした優しさについてお話をしたので、今月は優雅さに関するお話をしましょう。

 優雅さは、家族や友人など、親しい人間関係においてこそ保ちたい徳です。
 もしも家庭内で正しさを重視し過ぎれば、身に弛緩する余裕がなく、疲れ、苛立ち、反発が芽生え、人間関係を損なう頑(カタク)なさや、あるいは投げやりな態度が生じるかも知れません。

 優雅さゆとり和やかさといったをつくるには、5つのポイントがあります。

○他者の徳をすなおに認め、尊敬すること。

 常に自分を高いところへ置き、他者にその人なりの価値を見出せず、欠点ばかりを論(アゲツラ)ってはなりません。
 それでは他者を遠ざけ、心を閉じさせます。

○他者の善行をすなおに讃えること。

 自分の善行は見せびらかし、賞めてもらいたいのに、他者の善行を見ると、嫉妬して貶(ケナ)したり、無視したりする気持になりませんか。
 これではせっかくの善行が、形だけの欺瞞になり、認めてもらえないばかりか、心の浅さが見透かされます。

○他者の善行に何らかの形で参加すること。

 他者の尊い生きざまに心が揺すぶられても、傍観者でいるだけでは、自分の生き方が向上しません。
 たとえば、自分が同様の行動をとることは無理であっても、その素晴らしさを心から誰かに語るだけでも、自分なりの参加になり、自分も知らぬ間に一歩、前へ進んでいます。

向上心を保つこと。

 いのちは常に意欲と共にあり、意欲が我欲(ガヨク)の色合いを強めれば、煩悩(ボンノウ)という自他を苦しめる魔ものになります。
 しかし、探求心などの形で活き活きする意欲は、大隅良典栄・東京工業大誉教授(71才)のノーベル生理学・医学賞にも結びつきます。

○まっとうに生きるという意識を捨てないこと。

 今の時代は、誰でもが〈自分らしく〉生きようと頑張っていますが、その固定観念にとらわれれば、一歩まちがっただけで、〈気ままが一番〉というお釈迦様が最も誡(イマシ)めた方向へ行きかねません。
 ケダモノでなく人間として生きる以上、まっとうであればこそ、それぞれの人となりがそれぞれに生かし合えるこの世になるのではないでしょうか。

2 生じたへの対処法

 私たちの人生は、原因と結果の連続で成り立っています。
 まず、仮のがやってきます。
 たとえば、素敵な異姓との出会いです。
 結婚したいと望むならば、実際に結婚できた時こそ、が実体化したことになります。
 また、どうしてもウマの合わない同僚ができたとします。
 それは何かに通じる仮のかも知れません。
 もしも殴り合いになり、職場にいられなくなったならば、が実体化したことになります。

 このように良きも、悪しき縁も、仮のものとして生じ、やがては実のものとなります。
 望む縁ならば順調に育て、望まぬ縁ならば、早めに対処しておきたいものです。
 そうしたケースバイケースの対処法にもまた、正しさ、優雅さ、優しさ、厳しさなどのポイントがあります。
 こうしたものをつかんでおけば、いかなる状況でも〈ゆとりある心〉を失わずに生きられることでしょう。

3 イメージと向上

 私たちはまぎれもなく、1人残らず〈み仏の子〉ですが、自分自身を省み、よりよく生きるイメージを持ってこそ、その本姿で生きられます。
 よきイメージがなければ、お釈迦様が指摘したとおり、そうは意図しなくても誰かを傷つけ、自分も傷つけられながら過ごすしかなくなります。
 原因のない結果はありません。
 だから、家族や友人といった親しい人間関係が和やかに保たれるためには、上記のような意識が求められます。
 いじめ、虐待、殺人、自殺といったできごとが、親しいはずだった人間関係の中で日々、生じていることは、親しい間柄であっても〈気ままが一番〉ではないことを証明しています。
 個人主義の時代になった以上、放っておいても、家庭や地域や学校や会社がいつの間にか肝腎なことを教え、身につけさせてくれるわけではありません。

 鎌倉時代の明恵上人(ミョウエショウニン)は「あるべきよう」を生涯、求め続けました。
 江戸時代の慈雲尊者(ジウンソンジャ)も「人となる道」を生涯、説き続けました。
 私たちは、〈あるべき〉イメージをつくり、自他への問題意識を持ち続けることによってこそ、〈人となり〉つつ生涯をまっとうできるのではないでしょうか?
 親しい間柄なればこそ、私たちは試行錯誤しつつ存分にその訓練ができます。
 
 共に、優雅さゆとり和やかさ、そして縁というものを考えようではありませんか。
 寺子屋は10月8日、午後2時から当山で行います。
 イズミテイ21前から送迎車も出ますので、前日午後5時までにご遠慮なくお申し込みください。(022-346-2106)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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