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2016
10.09

寺子屋での法話と対話 ─心のゆとり・死刑廃止・入我我入・ご加持など─

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入我我入のイメージ(『マンダラの読み方』よりお借りして加工しました)〉

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〈ご加持のイメージ(『マンダラの読み方』よりお借りして加工しました)〉

1 心のゆとり

 今回の寺子屋では、主たるテーマとして、「優雅さ」「心のゆとり」について皆さんと共に考えました。
 それらは、家族など、親しい間柄を円滑に保つための秘訣です。
 できごとと守本尊様の関係などについてもお話ししました。

2 世の中のできごと

 最近、全国で問題が続出している政務活動費についての話題も出ました。
 もちろん、基本的には政治家本人の規範意識の問題でしょうが、議員同士であれ、役所の職員がからんだ場合であれ、ある程度、馴れ合った人間関係の中で、「正しさ」という面の弛みが引き起こした状況だからです。
 活発なやりとりがあり、皆さんの関心の高さが窺えました。

 10月7日に日弁連が初めて死刑廃止の宣言を行ったことも話題になりました。
 出席者の多数決によって「2020年までに死刑制度の廃止を目指し、代わりに終身刑などの導入を検討する」としましたが、宣言に反対する人々もいて、全会一致には至りませんでした。

 寺子屋に参加したAさんのご意見です。
「もしも、死刑囚のような凶悪犯が社会復帰したならば、急に、まっとうな人として生きて行けるでしょうか?
 第二・第三の事件を引き起こす可能性があまりにも高くはないでしょうか?
 また、犯した罪の意識は時が経つと共に薄れ、社会復帰したならば、少なくとも心に抱くものは軽くなって行くことでしょう。
 それに比べ、被害者のご遺族は、悲しみや苦しみや憎しみが固まることはあっても、それほど薄れて行くとは思えません。
 もしも、死刑の廃止によって加害者の心が楽になり、被害者の心がが重くなる傾向を助長するならば、不平等であると思います。」

 同じくBさんのご意見です。
「人間としてやってはならない一線を越えた時に死刑が待っていることは、少なからぬ抑止力になっているはずです。
 それが外されたならば、中高生ですらあまりにも簡単に人を殺してしまうような状況は必ず、悪化すると思います。
 また、死刑にならないことを悪用して、いずれ社会復帰できるのだからやってしまえ、と策謀をめぐらす者もあるでしょう。
 そして、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚がいまだに生きていることに象徴されるとおり、国家の判断で死刑になるべき者が一日一日と生きているために、国民の税金がつぎ込まれている実態は納得できないものがあります。
 これはあまり言うべきことではないでしょうが、死刑囚の近親者の中には、決まった以上、死刑になって早く一件落着となって欲しい人も少なからずいるのではないでしょうか。
 被害者の周囲の人々が第二の被害者であるのと同じように、加害者の周囲の人々もまた、第二の被害者なのです。
 死刑が廃止されれば、事件に巻き込まれてしまった人々の〈事実上、被害者であるという立場や意識〉を引き伸ばしてしまわないかと恐れます。」

 お二人のご意見には、国内世論に通じるものがあります。 
 日本では、アンケートをとると、いつも8割前後の方々が死刑制度の存続を望んでいます。
 一方、世界中で死刑廃止が加速しており、昨年、死刑を執行した国は、日本を含めてわずか25ヶ国しかありません。
 中でも、経済協力開発機構(OECD)に加盟している35ヶ国のうち、通常犯罪について死刑制度があるのは日本、アメリカ、韓国だけです。
 韓国ではここ20年、死刑は執行されていません。
 先進各国の人々と私たち日本人との間で、死刑制度に関する意識が大きく異なっているのはなぜか、よく考えてみたいものです。

3 救われる道筋

 私たちは清浄で温かな仏心(ブッシン)を持っているのに、我執(ガシュウ)という覆いがかかり、それをうまくはたらかせられないで苦しみます。
 しかし、覆いのないみ仏をイメージしたり、感得したりすることはできます。
 聖なるイメージと自分との距離を縮めるのが仏道の修行であり、それは、日常生活の中でも、お線香を立てたり、お水を供えたりする供養によって行われます。
 お線香の煙を見ながら〝私も自分を燃やし切るお線香のように精進します〟と誓い、実践すれば、一歩、〈生き仏〉に近づきます。
 特定の修行によってそれを体得するのが「入我我入(ニュウガガニュウ)」です。
 定められたお次第を進めて行くと、次第にみ仏が行者へ入り込み、行者もまた、み仏へ入り込み、最終的には一体化して即身成仏(ソクシンジョウブツ)が完成します。
 ここまで行くのは、誰でもが簡単にできることではありません。
 だから、ご加持(カジ)という間接的な方法があります。

 心身のエネルギーを回復したいなどの願いを持っても、直接、み仏に成ろうとするやり方は難しいので、行者が間に入って受者とみ仏のパイプをつなぐのです。
 行者がアンテナとなり、み仏のお力が救いを求める方へ流れ込むよう、法を結びます。
 それは、月影が水に映り、それを眺めて心が涼やかで穏やかになるようなものです。
 晴れた日ならば、誰でもが空を見上げ、名月を楽しめますが、曇りや雨や雪の日は、そうはゆきません。
 そして、私たちは心が荒れた日ほど、満月の救いが必要です。

 ご本尊様の前ですなおな心になり、問題を解決するためにお力をいただきたいと願えば、誰でもがご加持を受けられます。
 困った時の神頼みでよいのです。
 み仏は私たちの霊性における父母であり、究極の場面で「お母さん!」と叫ぶように、赤児としておすがりできないはずはありません。
 ──入我我入(ニュウガガニュウ)とご加持(カジ)。
 行者は前者によって救われ、受者は後者によって救われます。
 お大師様が私たちへ伝えてくださった法により、共に救われようではありませんか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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