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2016
10.31

ハロウィンと魂祭(タママツリ)

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〈ジャック・オー・ランタンの嬉しい素朴さは古代ケルト人の生活ぶりを偲ばせる〉

 古代ケルト人に発するハロウィンは、そもそも収穫祭であり、それは一年の終わりと始まりの時であって、あの世の人々も降りて来て一緒に祝う行事だったという。
 怖い扮装に身を包むのは、異界から訪れるのが懐かしいご先祖様だけではなく、悪霊などもやってくるので、それらを退散させるためである。
 醸し出される驚愕や恐怖は、アッと思って近くにいる人の腕につかまったり、抱き合ったりすることにより、お互いの距離が縮まり、つながりが深まるという嬉しい効果ももたらす。
 子供たちが参加してお菓子などをもらうのは、1年間のお手伝いに対するご褒美であり、訪れる他人の子供たちに施すのは、社会が共通財産として子供たちを守り育てるという意識の表現だったのではなかろうか?
 揃って「いたずらか、お菓子か」と唱えて歩き、お菓子をもらえるか、もしくは、くれない家ではイタズラをするか、どちらにしても、子供たちにとっては最高の祭なのだろう。

 1年の始まりと終わりを感謝で過ごし、そこにご先祖様も交わるというのは、日本古来の大晦日から元旦に至る家庭ごとの行事と同じである。
 そもそも、門松を立てるのは、新しい年を賑々しく祝うための飾りではなく、帰ってくる祖霊や新精霊をお迎えするための目印であり、家族で揃って食卓を囲む時は、必ずあの世から訪れている懐かしい面々も同席していたのだ。
 私たちは、お正月の根底に魂祭(タママツリ)があることを忘れていないだろうか?

 ハロウィンは世界中のお祭になったらしいが、ニュースを眺めると、世界中で商業主義に乗せられた若者たちが仮装し、日頃のうっぷんを晴らす。
 子供たちは無邪気にはしゃぐ。
 それだけでよいのだろうか?
 1年間の収穫に感謝し、祖霊と共に祝う祭ならば、街中にゴミが撒き散らされることなどあろうはずはない。
 ましてや、仮装して人物が特定されにくいことを利用し、強盗やレイプや各種の軽犯罪に走るなど、情けなくも哀れな話である。

 ハロウィンを象徴するジャック・オー・ランタンは、カブやカボチャをくり抜いて作られ、宗教的寓話が伴っている。
 小生が子供だった頃は、スイカの皮に竹籤(タケヒゴ)を通し、網を張ってキリギリスを飼ったりした。
 古来、人々は、自然の恵みに深く感謝し、自然からいただいたものは何でも利用し尽くしたのではなかろうか?
 そうした意味でも、素朴なジャック・オー・ランタンから〈怖い〉という一面だけを取り出し、アメリカやイギリスでは「殺人ピエロ」の跋扈(バッコ)などという実害を伴う現象にまで堕落したことは看過できない。
 モノ金が主人公になった華々しい現代文明に伴う頽廃や荒廃が露呈している。

 あと二ヶ月で、日本も年の区切を迎える。
 与謝蕪村は詠んだ。

「年(トシ)守(モル)夜(ヨ) 老(オイ)はたふとく 見られけり」


(家族が集まり、ご先祖様も共に、皆揃って行く年を送り、新しい年を迎える大晦日から元旦までの夜には、心構えや作法を指導する長老の叡智が一段と尊く輝く)
 この一句は覚えておきたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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