--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
11.05

Q&A(その32)自分の人生を大切にするためには ─無常と瞑想の話─

2016-11-05-00012.jpg
〈精悍な構え〉

 人生相談をお受けしていると、「自分の人生を大切にしたいので……」と吐露(トロ)される方が少なくありません。
 そのほとんどの場合、意味するところは〈自分の意思を通したい〉ということです。
 お気持ちはわかりますが、本当に、「人生を大切にする」には「意思を通す」必要があるのでしょうか?

 ダライ・ラマ法王著『思いやること』の中に「人生を大切に生きる」という一節があります。
 

「生きている、というそれだけの理由で、あなたは重要な局面に立ち、重大な責任を負っています。」

「束の間の人生を、あなた自身と他者の利益のために使うべきです。」

「肉体的な幸せは、身体の中の要素がたまたまバランスを保っている状態であり、深く調和しているわけではありません。
 この儚さをあるがままに受け止めましょう。
 また先で時間がとれる、などと思い込んでいてはいけません。」


 法王は、人生を大切に生きたいならば、生きている状態そのものをきちんと見つめよう、そうすれば、まず、自分の存在は儚いものであると気づくだろうと述べておられます。
 そして、普段は忘れている無常を観察する瞑想の文を示されました。

1 私はいつか必ず死にます。
  死は避けられません。
  人生は終わりに向かっていて、延長することはできません。


 私たちは普段、自分が死ぬに決まっている存在であることなど忘れています。
 むしろ、当分、あるいはしばらく、もしかするといつまでも生きていると勘違いしています。
 だから不安に取り憑かれないでいられると言えばそれまでですが、事実や真実を忘れきっていると、ものごとの受け止め方や考え方の土台が狂い、ままならないところへ追いつめられたりします。
 自他の苦しみは、往々にして、真実を忘れていることが根本原因なのです。

2 死期を知ることはできません。
  人間の寿命は人それぞれ。
  死因はたくさんありますが、生の原因となるものはそれほど多くありませんし、肉体はもろいものです。


 私たちは必ず死を迎えますが、最大の問題は、その時期や形を事前につかめないところにあります。
 当山はこれまで、たくさんの方々からのお申し出を受けています。
「自分が死んだことをよくわかっていないでしょうから、迷わず成仏するよう、ちゃんと引導を渡してください」
 事故や事件で亡くなられた方のご遺族にとっては、ここが最も心配なところです。
 実に肉体は脆く、アッという間に壊れ、二度と元には戻りません。

3 私たちはみなこのように、危うい状態にあります。
  ですから、口論をしたり争ったり、お金や物をため込むのに心身のエネルギーを使い果たしている場合ではありません。


 私たち自身が無常な存在であり、生きものたちやモノなど、あらゆるものも無常であることをよくよく腹に納めたいものです。

4 刻一刻と壊れゆくものを不変と思い込むことで、私たちは自分にも他者にも苦痛を与えています。
  去り行く幻への執着を和らげるべきです。


 儚い者同士が儚いモノを奪い合うならば、何と哀れな状態でしょうか。
 そこには砂時計を自分の思い通りに止めようとする愚かさがあり、智慧の明かりがない無明(ムミョウ)はあらゆる苦痛を生み出します。

5 束の間のものを永遠のものと誤解するところから生まれた、苦しみのサイクルから抜け出すために、心の底から努力すべきです。


 モノ金や肉体に執着させようとする情報に満ちている日常生活は、無自覚に流されていれば、誤解が強まるだけです。
 目先の儚い〈楽〉が、抜きがたい〈苦〉をもたらしている事実は覆われています。
 国語教師橋本武氏は言いました。
「すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる。」
 私たちはいかに、〈すぐに役立つ〉ノウハウを求めて血眼になり、道具と化した私たちは、いかに簡単に使い捨てられることでしょうか。 

6 長い目で見れば、何より助けになるのは、自分自身の姿勢を変革することです。


 ようやく結論にたどり着きました。
 人生を大切に生きたいならば、何よりも先に、無明(ムミョウ)を離れねばなりません。
 それには、「自分自身の姿勢を変革」せねばなりません。

無常を意識するには鍛錬、つまり心を飼いならすことが求められます。
 ただしこれは罰を与えたり、外からコントロールするという意味ではありません。
 鍛錬とは、何かを禁止することではないのです。
 むしろ、短期的な利益と長期的な利益が相反する場合に、長期的な利益のために目先の利益を犠牲にすることをいいます。
 これは自制心と呼ばれるものですが、自分の行動の因果関係を理解することに根ざしています。


 私たちは、目先の快楽を引き出そうとする刺激の洪水に呑み込まれそうになっています。
 一方で、まじめに汗を流す苦労がなかなか報われず、目先をうまくやった人が大儲けしたり、有名になったりするのを見て、〝どうせ、自分なんて……〟あるいは〝どうせ、こんな世の中だから……〟と因果応報など考えてもみなくなったりしがちです。
 そこから脱して自分を取り戻し、活き活きと生きるためには当然、努力が必要です。

自制心があれば、平和で、ゆったりとした、幸せな気持ちになりますが、心がこのように鍛錬されていなければ、外の状況がどれほど素晴らしくても、恐れと不安に悩まされるでしょう。
 幸福は、飼いならされた穏やかな心に根ざしている、と理解しましょう。
 これは、周りの人たちにも多大な恩恵をもたらします。」


 自分が刺激や周囲の状況に流されず、真理、真実を観る人になれば、自分が幸せになれるだけでなく、周囲の人々にもまた、よき影響をもらたすことができます。

個人主義とは、外に何かを期待したり、命令を待つのではなく、自分自身が率先して行動すること、そこで釈尊はたびたび『個人の解放』を呼びかけたのです。


 10月29日、当山は「ジャズと法話と無料相談の会」を催しましたが、この3つには共通点と目的がありました。
 それは〈解放〉です。
 ジャズで感性を弾けさせ、法話で罣礙(ケイゲ…般若心経にある言葉で、心のひっっかり)を溶かし、プロへの相談で疑問を解消していただきたかったのです。
 お釈迦様は、道理をはたらかせるために解放を呼びかけられたのではないでしょうか?
 神のお告げや、権力者の意図に操られない人間になってこそ、人生は大切に生きられるのでしょう。
 

自由と個人主義には自制心が必要です。
 自由と個人主義が煩悩(ボンノウ)に利用されると、ネガテイブな結果が待っているので、自由と自制心は対になって働かなくてはならないのです。


 煩悩は必ず〈目先〉を利用しようとします。
 快楽や恐怖につながる道具を並べます。
 それに引っかからず、道理と思いやりで生きようとするならば、「短期的な利益と長期的な利益」をよく見すえましょう。
 自分にとって、社会にとって、世界にとって、地球にとって、何が真の利益なのか──。

 法王が説かれた瞑想の文を繰り返して読み、無常の真実に立って生きたいものです。
 その先にこそ、その人なりに「人生を大切にする」生き方がきっと見つかるに違いありません。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。