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2007
02.14

輪廻転生 5 ―生まれ変わり その2―

 とてもまっすぐな心を持った教師Nさんが、久方ぶりに来山され、あらたまってのご質問がありました。
「私は今まで輪廻転生を信じて来ました。それは因果応報を信じていたからです。
 ところが、最近、『自分がどのようにこの世に生まれて来るかは自分で決めているんです。
 自分が願うように生まれてきたのですから、過去の因縁を恐れる必要はありません。
 因縁などは気にしないようにしましょう。』という説に接して迷うようになりました。どのように考えれば良いのでしょうか?」

1 こういう因果応報を無視した妄説は、優しさを売り物にする人たち特有の言い方です。
「あなたの苦しい状況は、自分で自分を鍛えようとして望んだものなのだから、心の持ちようでどうにでもなります。
 過去の因縁は気にしないで良いのです」
と真綿でくるむように慰撫します。
 こうした言い方をしたくなるのは解ります。
 たとえば、昔、ハンセン氏病などにかかった人々を過去の悪業の報いだからと蔑んだ歴史があり、今も、不条理としか思えない逆境にある人々はたくさんいるからです。
 因果応報を突きつけられてしまえば、過去を変えたり取り戻したりすることは不可能なので、どうすることもできません。
 
 しかし、ちょっと考えてみましょう。
 今の逆境をもたらした原因が過去にあったからといって、それを云々してどうなるのでしょう。一体、誰の何のために役立つのでしょう。
 逆境にある人の過去を揶揄したり、自分の過去についてクヨクヨしたりするのは、実に愚かしいことです。
 もし、過去について言うのなら、順境にある人へは、「お前なんか、昔、良いことをしただけなのだろう」と攻撃することもできるではありませんか。

 動かせない過去は、人生の真実を詰め込んだ教科書のようなものです。
 それぞれが固有の一冊を持ち、他人のそれをかいま見ることもできます。
 厳粛な真実を無視するのも、囚われるのも極端であり、真実から離れる道です。
 智慧の眼で読み、書かれている善きできごとも悪しきできごとも、慈悲の心で現在に活かしましょう。
 
 智慧と慈悲がなければ、いかなる真理も活かせません。
 愚痴や邪知は真理を曲解します、
 「水子の祟り」や「先祖の祟り」を言い立てて人を恐れさせるなど、真理が悪用される場合すらあります。

 
2 二つのキーワードをもって、み仏の教えを述べておきます。
「業力自然(ゴウリキジネン)」と「鬼手仏心(キシュブッシン)」です。

「業力自然」とは、善なる業も、悪しき業も、因果応報の理によって必ず何ごとかの結果をもたらし、〈結果が出ることにより、原因となった業は消える〉という真理です。
 たとえば、怒りのあまり人を殴った場合、心から懺悔し、謝り、許してもらえたならば、殴ったという悪業はその時点で役割を終えるということです。
 釈尊は、それを、
「もしも過去に悪業を積んでも、真に懺悔し二度とくり返さないならば、世を導く灯火ともなるであろう」
と説かれました。
 つまり、自分に表れている過去の業(生まれる以前のものも、生まれてからのものも)は、それを真正面から受け止め、悪業によってもたらされる試練は向かい風、善業によってもたらされる順境は追い風として活かすことによってのみ消滅させ、新しい未来へ進むことができるのです。
 この正しく「活かす」行為こそが新たなる善行であり、善業となって良き未来を創ります。
 真理を無視した慰めに逃げているだけでは、真の善業を創ることはできません。

3 「鬼手仏心」とは、み仏の心で鬼のような行為をすることです。
 たとえば外科医の仕事はその典型です。
 手術は肉体の一部を切り取ってしまう恐ろしい行為であり、場合によっては人を死に至らしめる場合すらありますが、患者を救うためには断固として行わねばなりません。
 深く膿んだ傷口をさすってやっているばかりでは、根本的な解決はできないのです。
 
 厳しくしつける親の姿も同じです。
 小学生だった私は、野球をしていて、言うことをきかない気ままな下級生を殴りました。
 たまたま自転車で通りかかった父親は、理由を訊かずに私を殴りました。言葉はこれだけでした。
「小さい者をいじめて、この野郎!」
 以来、私は、目下を殴ることはもちろん、いじめることもできなくなりました。
 
 食べ物の好き嫌いをする子どもを、泣く泣く柱に縛り付けた母親の故事もあります。
 縛られた子どもは流れる涙と自由になる足の指で床に絵を描きました。
 やがて彼は日本一の彫刻家になったのです。

 もちろん体罰は勧められるものではありません。
 真に相手のためを思えば、表面的に厳しい態度も必要であるこということです。

4 因果応報は、動かすことのできない宗教的、科学的真理です。
「業力自然」を信じ、時には「鬼手仏心」をもって他人へ優しく、自分へ厳しく生きましょう。
「無視せず、囚われず」。これが、因縁の積み重なった過去の業を正しく活かす唯一の道なのです。




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