--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2007
02.19

後厄年の過ごし方 その4

 後厄年に強い障りが生じた場合は、ご先祖様や先亡の人々の戒めではないかと考えてみましょう。
 
1 後厄の年は「地」の徳をいただく時期ですが、地は大地であり、梵字のアで示されます。
 ただし、アは単なる地球を指すのではなく、天地万物としてその徳を発揮しておられる大日如来を指します。
 それはすべてを生み出す源であり、育む場所であり、いのちの生きる土台であり、還り行く故郷でもあります。

2 また、大日如来は多宝塔に象徴され、教典によれば、聖なる塔は大地より涌き出るとされています。
 多宝塔は、大日如来の崇高さを表したものです。
 形なき精神世界を確かに感得するために、私たちは授かった五感六根を使います。
 そのための眼に見える形が多宝塔です。

3 さて、多宝塔が大地より涌き出るとはいかなる意味でしょうか。
 それは、精神世界が物質世界に支えられて具体的なはたらきを行うということです。
 人間も、魂が肉体に宿って初めてこの世での修行が可能になるではありませんか。
 父母なくしてこの世に生まれる子どもは一人もいません。

 父に象徴される精神性と母に象徴される物質性の奇跡的な交感が一つのいのちを生みだします。
 私たちには父なる〈天の大日如来〉と母なる〈地の大日如来〉の徳が宿っています。
 だから〈み仏の子〉なのです。

 つまり、多宝塔は私たちの魂そのものです。
 
4 こうした強く「地」の徳をいただく時期に、〈み仏の子〉である輝かしいものに障りといった陰りが生じたならば、いのちの根源からのお知らせと考えねばなりません。
 きっと、私たちより先に生まれ、生き、いのちのバトンタッチをして逝った方々が、やがては私たちも還って行く故郷から何かを教えてくださっているのでしょう。
 み仏と先亡の諸精霊をご供養し、心へ訴えてくるものに謙虚に耳をかたむけ、最後の厄年を乗り切りましょう。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。