宮床開運守本尊 大師山 法楽寺 〜法灯により法友とともに法楽に住せん〜

2008-07

日本の歌26 ―今日の日はさようなら―

33今日の日はさようなら

  作詞:金子詔一 作曲:金子詔一

  昭和41年歌手森山良子でヒット




1 いつまでも絶えることなく 友だちでいよう

  明日の日を夢見て 希望の道を



2 空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる

  今日の日はさようなら またあう日まで



3 信じあうよろこびを 大切にしよう

  今日の日はさようなら またあう日まで

  またあう日まで



 この歌があちこちで聞かれた頃、早熟な若人たちは大学改革やアメリカの原潜寄港反対などを主張してデモに走り、一方では、こうした癒しを色濃く含んだフォークソング系の歌が流行った。

 飛行機が次々に墜落し、ビートルズが武道館で公演するなど騒然とした一年は、自民党代議士田中彰治の逮捕に続く衆議院の「黒い霧解散」へとなだれ込んだ。

 振り返ってみると、私たちはどこかでヤジロベエがはたらいて、危うく日常というものを確保できているのではないかと思う。

 この歌にしても、「バラが咲いた」「君といつまでも」「若者たち」などにしても、旋律が単純であまり抑揚がなく、デモなどの事件が嵐とすれば、こうした一連の歌たちはそよ風である。

 我がことを顧みると、デモなどに批判的だった分だけ、フォークソング系の歌にも惹かれなかったようだ。

 その時々で、ヤジロベエが強くはたらく人もいれば、あまり必要としない人もいるのだろう。



 楽譜を見て驚いた。休符は最後の4分休符一つだけである。

 曲の切れ間で瞬時に息を吸う技術があることを前提に書かれている。

 森山良子が唄ったことはよく解る。

 

 40年経った今は、小学生などの子どもたちが学校で唄っているという。

「希望」「自由」「信じあう」といったテーマは、いつの世も若人たちの情熱をかき立てる。

 良き灯火であって欲しい。



※この頃「自由からの逃走」(E・フロム著 日高六郎訳)が売れた。

 最近、ある政治家がこの書物を引用し、「自由を得た大衆は権力者がいないと右往左往するものだから、政治家は強いリーダーシップを発揮せねばならない」と主張していると聞いた。

 危険な話である。

 E・フロムは、自由というものの危うさを指摘し、世の中が単色に染まることへ警鐘を鳴らしたはずである。

 私たちは、いつの世も、自分を懸けるものは自分で探さねばならない。たやすく与えられるものはむしろ疑ってかかる先に、まことのものが見つかる。

 それは、何も西洋的自我の仕事ではない。

 本ものを見つけるには、我(ガ)は、むしろ邪魔になる。

 霊性を曇らせぬこと、良心を置き去りにせぬことが肝要である。

 流行の「自分探し」が「我探し」になっているように見受けられ、若人たちが自分の殻へ隠る気配の強い今、こうした政治家に踊らされぬよう、気をつけたい。

法楽寺のサイトも是非ご覧ください


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