fc2ブログ
2005
08.11

親友の娘

 『小説宝石』8月号に高任和夫氏作「親友の娘」が掲載されました。
 商社マンとして釜の飯を同じくしている親友が交通事故で急逝し、たった独りで残された娘さんが立ち直るのを見とどけるという短編。
 主人公はおなじみの井狩です。
 内容は読んでからのお楽しみでなければなりませんから、あまり立ち入りません。
 ただ、僧侶としてこの傑作を一人でも多くの人に読んでいただきたいと願う理由だけは、書いておきます。

 彼女は聖書の一節にうたれて救われましたが、それは、神は試練を与えると共に救いの道を用意されているというものです。
 この教えは、み仏の教えとかなり重なっています。
 み仏は三百六十五日一刻の休みもなく私たちを守護しておられ、私たちは心を向けさえすればいつでもそれを感得することができます。
 追い風の時はその優しさを知り、向かい風の時はその厳しさを知ります。
 人生におけるいずれの場面にも、み仏のご加護の手は与えられており、人生という時間のすべては、人として真っ当に生きるために必要なものです。
 浅はかな「損得」や「都合」や「好悪」や「言いわけ」などによる取捨選択や区別を超えたところで、それは〈確かなこと〉なのです。

 好き嫌いをする子供に嫌いなものを食べるよう指導する親の情の深さを、頑是ない子供は知り得ません。
 与えられた脳細胞の二割も使えていない人間にとって、そうした限界があることは宿命であり、その厳粛な事実の前に謙虚にならねばなりません。
 大いなるものの前で裸になる「帰依(キエ)」こそが謙虚さの行き着く極みでありましょう。

 おそらくは作者自身が己を追いつめ、もしかすると、別な意味で仏神をも追いつめておられたであろう時期に成った「親友の娘」は、「救い」について真剣に考えておられるすべての方々に読んでいただきたい大傑作です。 



スポンサーサイト




トラックバックURL
http://hourakuji.blog115.fc2.com/tb.php/79-5ed65b76
トラックバック
コメント
このコメントは管理者の承認待ちです
dot 2008.03.06 20:36 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top